星屑ヘリオグラフ

see you tomorrow
学校から帰宅し部屋でベッドに寝転がりながら雑誌のページをめくっていると、リビングからお母さんの声が聞こえて来た。
「ちょっと来てー!」
「はーい! 今行くー!」
読みかけの雑誌を閉じてリビングに向かうと、台所にいたお母さんが口を開く。
「煮物、作り過ぎちゃったのよ。今からすー君となっちゃんのところに届けに行ってくれない?」
「はーい」
昴と波智の家は近所にあり、小さい頃から互いの家を頻繁に行き来していた。今でもおかずを作り過ぎてしまった日には、こうしておすそ分けしに行くことがある。
まだほかほかと湯気がたっている煮物のタッパーに蓋をし、袋に入れて出かけることにする。玄関を開ければ、オレンジ色が空を染め上げていた。

家を出てから五分もすれば昴の家に着く。
インターフォンを鳴らせば、ぱたぱたと軽快な足音が二つ、遅れてもう一つ。
「お兄ちゃん、誰か来たよー?」
「はいはい、宙も渚も待てって……。どちら様ですかー、ってお前か。どうしたんだ……?」
玄関の扉を開けたのは昴で、その後ろには昴の妹と弟であるそーちゃんとなーちゃんが嬉しそうな表情を浮かべていた。
「姉ちゃんだ! どうしたの? お兄ちゃんと遊ぶ用事?」
なーちゃんがこう聞くのはもっともで、たまに波智と三人で、昴のゲームをすることがあるからだ。
「今日は昴と遊ぶんじゃなくて、おすそ分けに来たの」
「おすそ分け?」
「うん。煮物、作り過ぎちゃったから昴と波智の家に、ってお母さんが。ってことではい、昴」
まだ充分暖かいタッパーごと昴に渡すと、ありがとな、と柔らかに微笑まれる。
「そっか、煮物か。嬉しいな。お前の家の味付けって少し甘めだろ? うちのはあんまり甘くないからさ」
「確かに、前に昴の家の煮物って甘くなくて驚いたことあったかも」
「そうそう。ばあちゃんに言っても「うちは昔からこれだから」って言われるしな」
「そっかあ」
「あ、そうだ。そう言えば向かいの高崎さんにマフィン沢山もらったんだよ。良かったら食べないか?」
昴は居間にあったらしいマフィンを、ビニール袋にいくつか入れて持ってくる。
「マフィン! 良いの?」
「ああ。折角来てくれたんだし、煮物のお礼じゃないけど」
「そう言うことなら遠慮なく。ありがとう!」
昴から貰ったビニール袋からは、甘い香りが漏れてくる。ちらりと中を覗くと、手のひらよりも少し小さなサイズのマフィンが数個入っていた。きっと凄く美味しいんだろうなぁ、と考えると頬が緩む。何もつけなくても勿論美味しいだろうけど、ちょっと生クリームを付けて食べたら美味しそう!
「お前はこのまま波智の家か?」
「うん、そのつもり」
昴が袋に入ったもう一つのタッパーを見て問いかける。できれば煮物が冷めちゃう前に届けたい。
「だよな、了解」
昴はそう言うと一度居間に戻って、同じようにもう一つビニール袋を下げてやって来る。
「じゃあ、行くか」
「昴も波智の家行くの?」
「そう、お前に渡したマフィンをついでに渡しに行こうと思ってな」
「そっか。じゃあそーちゃんもなーちゃんもじゃあね。また遊びに来るよ」
「うん!」
そうして煮物を入れていた袋に加えて、美味しそうなマフィンが入った袋を手に、昴の家を後にした。

寝坊した波智を起こしに行く――なんてことを何度もしてきているのだ。慣れた道を昴とふたりで歩いていく。
波智の家のインターフォンを押すと、波智本人ではなく波智のお母さんが顔を出した。
「あら、二人とも。波智になにか用かしら?」
「あ、今日は波智本人に用がある訳じゃなくて……」
「おすそ分けがあったので持ってきたんです」
「そうなの? ってあら、丁度波智が帰って来たみたい」
波智のお母さんの言葉に背後を振り返ると、波智が息を切らせながら走ってきていた。トレーニング終わりのようだった。
「ん? なんで二人がいるんだ……?」
首にかけていたタオルで顔の汗を拭いながら、波智が当たり前の質問を投げかける。
「うちからは煮物のおすそ分けで」
「我が家からは貰い物だけどマフィンのおすそ分け」
「おー、サンキュ」
嬉しそうに煮物とマフィンを受け取った波智は、そう言えば、と首を傾げる。
「さっきじーちゃんが今日は大漁だった、っていろいろ持ってきてなかったっけ?」
「そういえば……二人とも、ちょっと待っててね」
「あ、はーい」
「分かりました」
この光景、この流れ。少し前にどこかで見たような。具体的には昴の家で。
すぐに戻って来た波智のお母さんは、お皿を持っていた。
「はい、適当なお皿に盛っただけなんだけど良かったら食べてみて?」
「いいんですか……?」
「良いのよ良いのよ。はい」
「あ、ありがとうございます……!」
波智のお母さんからラップされたお皿を受け取る。煮物を入れていた袋に入れれば、来るときよりもずっと重くなっていた。これで無事、任務完了だ。
「それじゃあ夕飯もあるだろうし、失礼します。いこっか、昴」
「だな。それじゃあおばさん、また」
そうして、昴と共に波智の家から帰ることにした、はずなのに。
何故か波智も、当たり前の顔をして着いて来る。
「波智?」
「んー、まだちょっと走り足りなくてな。お前ら送ったら走って帰るつもりだからトレーニング」
「さすが波智だねえ」
「って訳でちょっと出てくるなー」
「はいはい。あんまり遅くならないようにね」
三人で一緒に誰かの家から出ていくなんて、まるで寝坊をした一人を迎えに行った日のようだった。
「煮物持って行っただけなのに、最終的には昴の家と波智の家からもいろいろ貰っちゃった」
タッパー二つにいれた煮物が、マフィンととりたての魚に化けたのだ。それが少しだけ面白い。
「だな。もらったマフィン、飯の後に食べるの楽しみだー」
「ね、美味しそうだもんね……!」
意識するとお腹が鳴るような気がして、今が夕飯前ということを思い出す。オレンジ色の空は、もうすっかり瑠璃色だった。
「そう言えばさっき雑誌見てたんだけどね。スタブルのインタビュー記事があったんだよ!」
「まじか! それ読みたい!」
「今度うちに来た時でもいいし……明日学校に持って行こうか?」
「学校で読む!」
そんなとりとめのない話をしていると、家までの道のりはあっという間で。
「あー、えっと。じゃあ、またね」
誰からともなく、そんな言葉を口にする。
「うん、またね」
「明日、寝坊すんなよー」
「それは波智でしょ!」
「んなことないっての!」
「はいはい」
少し呆れたような昴の声に、自然と笑みが零れる。
瑠璃色の空が濃紺に染まる中、両手にお土産を下げて家に向かって歩きだした。

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