Key la box(キー・ラ・ボックス)

Happy Birthday 黒住 絃静

誕生日は、多少の無茶を聞いてもらえる日だと思っている。それは誕生日の人が好きなことをしても構わない日ということだ。やりたいことはたくさんあるくせに、いざ好きなことをしようと考えると悩んでしまう。
(何しようかな……あ、そうだ)
考えた末に足を向けたのは、実習でも使うある一室……それは大学構内にあるアトリエ。
好きなことをしようと考えて決めたのは、大学構内にあるアトリエに籠ることだった。

* * *

何かを描くために集中するのは好きだ。集中することで周りから隔絶されていく感覚が好きと言った方が正しいかもしれない。
聞こえてくる音がだんだんと遠ざかっていって広い世界に自分ただひとりになるような、自分の中を自分でゆっくりゆっくり探っていくような……そんな感覚。
思い切りその感覚を堪能していると、次第に時間の感覚さえも薄れていく。
「……ふぅ」
薄く引き伸ばされた集中が一瞬だけ途切れたのは、あたりが暗くなってキャンバスに描いた色合いが少し見にくくなったからだった。
もう少し、もう少し描き続けたい。このままならきっと、もっといいものができるはず。
そんな思いから筆を握り直したとき……背後から声が聞こえた。
「やっほー」
「!?」
突然のことに、飛び跳ねそうなほど驚いてしまう。もっとも、腰掛けていた椅子は動揺でかなり動いてしまったけれど。
振り返らなくても分かる、この声は一人しかいなかった。
「縁、いるなら声かけてくれればいいのに」
「真剣にやってたみたいだし、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
アトリエの外の窓から覗いていた縁は、にやにやしながらこちらに近づいてくる。いい感じだな、という縁の声を聞きながら諦めて筆を下ろす。
「で、どうしたの」
「んー、絃静のこと探してたんだよ」
「なんでまた?」
何か縁に探されることなんてあっただろうかと頭の中を探り始めたとき、縁はにやにやした表情で口を開いた。
「誕生日だからおごってやるよ」
おごってもらうのは純粋に悪くない。けれど、それ以上に。
「男に誕生日祝われるのか~。せっかくなら女の方が良かったんだけどな~」
「そうかそうか、絃静はおごりはいらないってことか」
「そこまでは言ってないって」
せっかくの提案だ、乗れるものには乗っておくに限る。
「よーし、んじゃ行くか」
「何おごってもらおうかなー」
「それは俺が決めるっての」
先を歩いていく縁を追いかけて、アトリエを後にした。

しばらく数歩先を歩いていた縁が足を止めたのは、アトリエを出てすぐのことだった。立ち止まった先にあったのは、自販機。
「何飲みたいの?」
「んー……じゃあカフェラテで」
「りょうかい、っと」
目についたものを伝えれば、縁は数枚の小銭を自販機に飲み込ませた。カフェラテの缶の下のボタンを二回押せば、二回がこんという音がして、そのうちの一本を手渡してくれる。
「熱いからなー。誕生日おめでとう」
「さんきゅ」
「じゃあ誕生日を祝して、かんぱーい」
「乾杯、っと」
缶をぶつける音と、プルタプを開ける軽い音が響いた。
「……まさかこんなのが誕生日祝いなの?」
冷ますためにふーふーと缶に息を吐きかけながら笑えば、縁がニヤリと笑ったのが分かった。
さほど甘くないはずなのに甘さがじわりと身体に染み込んでいくのが分かって、それだけ集中して描いていたことを今更ながら実感する。
「そんなわけないだろ~。とっておきがあるからな」
そうなのか、と思いながらカフェラテを飲んでいると、縁がどこかにむかってすたすたと歩いていく。その先にいたのは……。
「蒼士、ゲット~」
偶然通りかかった蒼士の肩を一方的に組んで、こちらに戻ってくる。蒼士がかなり迷惑そうな表情をしているのが遠目からでも分かった。
「いきなりなんだ」
「今日は一年に一回の特別な日なんだよ」
「俺はこれからやることが……」
「絃静の誕生日祝いしようと思ってるんだよ。蒼士も当然きてくれるよな?」
「……」
文句を言いながらも、誕生日祝いだと言われると断れないようで、縁のされるがままになっている。
「んじゃ、飲みに行こう」
「分かったから肩を組むのはやめろ。はなせ」
「はいはい、蒼士くんついて来ようね~」
文句を言いながらもなんだかんだでついてきてくれる、蒼士のこう言うところが気に入っている。

* * *

つい数日前も蒼士の誕生日を祝ったばかりなのに、またこうして男三人で顔を突き合わせて飲むことになっている。
「あと追加で刺身の盛り合わせと……串の盛り合わせも」
気になっていた海鮮チャーハンと羽つきの餃子はもう少ししてから注文することにした。
「……相変わらず絃静はよく食うな」
「まあ今日は縁のおごりっぽいしね。食べたい時に食べられるだけ食べておこうかなって」
「そうか。悪いな。ご馳走さま」
「おい蒼士の分までおごるつもりはないからなー」
そんな会話をしていると、やがて注文したお酒が運ばれてくる。
「乾杯!」
掛け声とともにグラス同士がぶつかる音が響いたのだった。

しばらく注文した料理と酒を楽しんでいると、それなりに酔いが回ってくる。
「そうだ、やっぱりもう一つプレゼントしておくべきかー?」
そう言い出したのは、前と同じようにすっかり出来上がっている縁だった。
「もう一つのプレゼント……」
この前の蒼士の誕生日の流れをくむなら、縁と蒼士が頬にチューをすることになる。
「絶対に嫌だからな」
「え~蒼士冷たくないか~?」
「誰がなんと言おうとしない」
「あーあ。そう言うわけで絃静にはプレゼントなしになりましたとさー」
「残念だなー。蒼士がやってくれればいいだけなのになー」
わざとらしく蒼士の方を見ながら大きくため息を吐いてみるけれど、蒼士の表情を相変わらずだった。
「しない」
けらけらと笑っている縁と、眉をしかめている蒼士は対照的で、それにもどうしようもなく笑いが浮かんできた。二人からのチューがないのは少し残念な気がしたけれど、なんだかんだでこうして誕生日を祝ってくれる友人がいるのは純粋に嬉しかった。
普段なら照れ臭くて言えないけれど、酔いが回っている今なら簡単に言える。
「ありがとな」
ぼそりと口にした言葉は想像よりも響いたけれど、縁は蒼士をからかうのに夢中で聞いていなかったし、蒼士は蒼士で無言で酒を飲んでいたからこれもまた聞いていないだろう。
「まったく、お前ららしいよな」
「ん? 今何か言ったー?」
「いや、なんでもないよ」
この言葉に限って縁には聞こえていたらしい。
「そっかー。そうそう、今思ったんだけど、絃静と蒼士の誕生日って近すぎると思うんだよ」
「まあそれなりに近いとは思うけど。それがどうかしたの?」
「来年は真ん中バースデーにしてまとめてやるのは明暗じゃないか?」
「ふーん……まあいいんじゃないの」
「だろ?」
蒼士はどう思う? と見てみれば、意外なことに反対はされなかった。
「蒼士なら反対すると思ってたのに」
「そっちの方が面倒ごとが減るならその方がいい」
「……なるほど。蒼士らしい理由だったな」
来年の誕生日がどうなっているのかは分からないけれど、少なくとも一人で過ごすことにはならなそうだ。
心のどこかでホッとする気持ちを抱えながら、グラスに残った酒を煽った。

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