【Autumn Story02】未知との遭遇

それは、秋の色が濃くなってきたある日の昼下がりだった。
実力テストを終えた生徒たちは疲れた顔をしていたが、それも今日まで。喜びで浮足立った者たちはいそいそと街へ繰り出していた。
テスト期間中は部活動禁止のため、今日からさっそく活動開始。特に運動部は、やっと身体を動かせるとあって帰宅部とは違う意味ではしゃいでいる。
そんな中、写真部の部室では険悪な空気が流れていた。

「そのダサいシャツ、今すぐ脱いで」

そう指摘した理音は、部室の隅で背中を丸める星真を見下ろしていた。
一方声をかけられた星真は顔だけ振り返ったものの……何事もなかったかのように、カメラの掃除を続ける。
「ちょっと! せっかくオレが言ってあげてるんだから、聞きなよ!」
「興味ない」
「そのシャツの……ウーパールーパー? なんかよくわかんないうえに気持ち悪いデザインはやめなって。もうちょっとマシなの着なよ。あんた背高いんだし、そうしたら少しはモテるでしょ」
「別にモテなくていい」
他を一切寄せつけない態度に、理音の眉が痙攣する。相手が波智ならここでケンカになっていただろう。しかし星真となるとそうはいかない。
服のセンスはないし髪はボサボサだし背筋は曲がってる。どこもかしこもダサくて許せない。
(けど……)
あの写真を撮った男なんだから!
理音は自分にそう言い聞かせ、怒りたい気持ちをグッと堪える。
「星真がそのシャツ好きなのはわかった! でもさ、たまにはオレがあげた服着てみなよ」
「着にくいからやだ」
「はあ? 普通でしょ。大体、なんでいつもウーパールーパーのシャツばっか着てんの? そんなにウーパールーパー好きなの?」
「……だったら、何?」
「別にバカにしてるわけじゃないから、そんな拗ねないでよ。でも、そんな宇宙人みたいなのが好きとか、変わってるよねぇ」
バカにしていない、と言うが、声の調子は上から目線だ。案の定、星真は唇を尖らせている。背を向けたままなので、理音はそれに気付いていないが。
ここに他の部員がいれば、星真をなだめただろう。しかし波智はいつも通りサッカー部へ、夕月は教員会議、昴は委員会、彼女は友達の手伝いでバスケ部に顔を出しているため、部室には星真と理音しかいない。
重い空気が流れている事に気付かず、理音は「ねえ」といつもの気安い調子で声を投げた。
「確か星真って、ウーパールーパー飼ってるんだよねぇ?」
「ん」
「だったら、見せてよ」
友達に「教科書貸してよ」みたいな気軽さのお願いに、星真は当然顔を歪める。しかし理音はそんな彼とは対極の、満面の笑みを浮かべた。

* * *

盛大な押し問答の末、先に折れたのは星真だった。
「少しだけだから」
そう念押しする星真に適当な返事をしながら、理音は気楽な調子で宇良家に入る。
家には今、誰もいないようで、掛け時計の音だけが響いていた。畳替えをしたのか、七島イの香りが微かに漂っている。その香りに鼻を動かしながら、辺りを見回した。
「いないじゃん、ウーパールーパー」
「俺の部屋」
「なら早く連れてってよ」
見せてもらう方の態度とは思えない不遜さに、星真の眉が吊り上がる。
しかしここで拗ねても怒っても、理音相手には面倒なだけ。
それは数時間前に嫌というほどわかっていたので、ため息をつくだけに留め、背を向けた。「こっち」と小さな声で促し、歩きだす。
宇良家は平屋で、彼の部屋は一番奥に位置していた。目の前の道路が坂道になっており、海と空がよく見える。しかし理音の視線はそんな贅沢な景色ではなく、部屋の隅に鎮座していた水槽に釘付けだった。
「これが、ウーパールーパー……」

大きめの水槽の中で気持ちよさそうにふわふわと浮いているピンク色の宇宙人――もとい、ウーパールーパー。短い手足を時々動かすものの、基本はその場に留まったままだ。大きな黒目は動く事なく、じっとこちらを見つめている。
その姿に、理音は目を輝かせて水槽に近付く。人の影に気付いたウーパールーパーは前足をバタバタと動かして水中を移動し、理音の前へとやってきた。その動きに合わせて、赤色のエラが自由に揺らめく。
「うわっ、うわっこっち見てる」
「見えてるから」
「へー……あ、ホントだ。オレの指に合わせて動いてる」
人差し指を水槽に近付け、上へ下へとゆっくり動かす理音。その動きと同じように、ウーパールーパーは上へ下へと移動する。それが面白いらしく、今度は右へ左へ、と指を動かした。ウーパールーパーは遊ばれているとも知らず、素直に理音の指を追いかけて泳ぐ。
そんなひとりと一匹を横目で見ながら、星真は棚から透明なボトルとスポイトを取り出した。ボトルの中は、ウーパールーパーの餌であるペレットだ。
フタを開けるためにスポイトを口に咥えながら、星真はまたチラリと理音たちに目をやる。
「なんか、笑ってない? えー感情まであんの? すごくない?」
「笑ってない」
「でもさーこれ絶対笑ってるでしょ。ほら、口の形が三日月になってるじゃん」
「元々そういう口だから」
「ふーん……あ、固まった。え、何? どうしたの、これ。死んでないよね?」
「それ、いつも通りだから」
「動かないのが? ただ浮かんでるだけで、こいつ楽しいわけ?」
理音はすっかりウーパールーパーに夢中らしく、興奮気味に聞いてくる。
その質問には答えず、横に立って、星真はペレットをいくつか水槽に入れた。しかしウーパールーパーはそれに気付かないどころか、まだ動こうとしない。
「ねえ、実は死んでるんじゃ……」
「生きてる」
言いながら、咥えていたスポイトを手にし、水槽に差し込む。それで落としたばかりのペレットを一粒吸い取ると、ウーパールーパーの口元へ持っていった。
「親方」
「え、何それ」
「名前」
「名前!? 親方が? 変なのー」
しかし星真は意に介さず、もう一度「親方」と呼ぶ。すると、返事をするかのように突如両手を動かして泳ぎ出し、スポイトの餌を食べようと口を開けた。
「うわ! 口開くんだ! っていうかデカ!」
親方はその口で、ペレットを吸い込んだ。
「食べた!」
「食べるよ」
「え、噛んでないじゃん。つーかもっかい見たい」
面倒そうにしながらも、星真はまたスポイトで水槽に落ちているペレットを吸い取り、それをウーパールーパーの口元へ近付ける。
「あ! また食べ……れてないじゃん。ねえ、こいつやっぱり見えてないんでしょ」
「見えてる。距離感が掴めないだけ」
「アホだねぇ~」
「アホじゃない」
眉をひそめて不機嫌そうな表情を浮かべる星真。しかし親方から目を離さない理音が、気付くはずもなく。
「あ、やっと食べた。あははっ! マヌケ面~♪」
指先で水槽を軽く叩きながら、声を立てて笑っている。その音に反応した親方が、水槽の床に落ちているペレットに気付いた。また口を開けて、今度は掃除機のように吸い込んでいく。
「うわっ! すごっ! なになに? すっごい食べてんじゃん!」
さっきまで、ウーパールーパーを宇宙人と呼んでいた事なんてすっかり忘れ、はしゃぐ理音。そんな彼の声に反応するように、星真のスマホが着信を知らせて震える。
「……あの人から」
「なんて?」
「……手伝い終わったから、昴と波智と……神流と来るって」
「結局写真部全員集合じゃん。あ、だったら親方撮影大会にしちゃう?」
「別にいいけど……なら、ふゆみも撮って」
「ふゆみ? もう一匹ウーパールーパーいんの?」
「違う。ふゆみは――」
星真の言葉の途中で、もう一方の水槽の中にあった壺の影から、『ふゆみ』が出てきた。それを目にした理音の声が、部屋に響き渡る。

「伊勢エビじゃん!」

テキスト:浅生柚子( @asaiyuz5