【Prologue Story07】未来

カメラの受光部が、きゅっと絞り込まれる。
そうして光を取り込む量を調整しながら被写体にピントを合わせて――

カシャッ

小気味良い音が、星波島の海岸に響いた。
その音を響かせた宇良星真はそのまま、連続して一眼レフのシャッターを切っていく。
「お~! やっぱり星真の写真って綺麗だよなぁ」
彼の隣で同じように海を撮っていた恒上波智は、感嘆の声を上げる。しかし、星真はまったく返事をしないどころか、顔さえ向けようとしなかった。
周りが見えていないのか、ただ熱心に星波島の風景をカメラに収めていく。
波智はそんな星真の態度を怒るでもなく、「俺も頑張んなきゃな」と独りごちてデジカメのシャッターを押した。

「けどさー、なんで俺らが島内広報の表紙用写真を撮んなきゃいけねーんだよ」
その問いかけは、波智や星真が所属する写真部の顧問――神流夕月に向けられた。
少し離れたところでくつろいでいた夕月は声にこそ反応したものの、自分が問われたと思っていなかったらしい。目を丸くしてポカンとしている。
目が合った波智がもう一度「なんで?」と聞いて、初めて夕月は自分への問いかけなのだと理解した。
その上で、ため息をつく。
「この前説明したんだけどな……。波智、聞いてなかったの?」
「俺がサッカー部に顔出してる時だったから、知らねーんだよ!」
「ああ、そうだったね」
それについて特に謝るでもなく、夕月は続けて口を開く。
「できたばかりの部だからね、何かしら実績を残していないと、廃部になっちゃうかもしれないって考えていた時に、町役場の人が飲みの席で広報用の写真がな~ってぼやいてたから、写真部の写真を使ってもらうことにしたんだ」
意外だったのか、波智は口を開けたまま動かなくなってしまう。夕月はゆっくりと波智のそばまでやってきて、彼の頭にポスンと手を置いた。
「まあ、今はそんなこと気にしなくていいから。カメラに慣れるいい機会だと思って、のんびり撮るといいよ」
「お、おう! そうだな!」
波智はなんとか頷くと、改めて風景を撮り始めた。

その横にいながら話を聞く素振りも見せず、星真は淡々とシャッタースピードを変えて白波を撮影している。絞りを大きくしてシャッタースピードを遅くすることで、波の粒まで撮ろうとしているのだ。
先ほどよりも更に集中しているため、まったく周りが見えていない。
それをいいことに、同じ部員の天地理音はスマホのレンズを星真へと向けた……
「撮るのやめて」
その瞬間、星真は理音の方を見ないまま、静かに告げた。
「なーんだ、見えてたんだねぇ~」
「見えてない」
「じゃあなんで……」
「気配でわかる」
「何それ。元プロカメラマンの勘ってやつ?」
理音の問いには答えず、星真は自分の撮影を続ける。その姿に口を尖らせても、理音は彼のそばを離れようとはしなかった。
星真の一挙一動を目で追い、時折、同じ風景を見つめる。その姿は、師匠の技を盗もうとしている弟子のそれに似ていた。

そんなふたりの写真を遠くからカメラに収めていたのは、もうひとりの写真部部員、鳴海昴だ。
昴は祖父のお下がりである古いカメラを構え、星真や理音だけでなく、幼なじみの波智も撮っていく。デジタルではないので何度も、というわけではなく、一枚一枚納得のいく構図で、丁寧にその場面を切り取っていく。
「昴は相変わらず人ばっかだなぁ」
ファインダーの向こうで笑う波智に言われ、昴は顔を上げて首を傾げた。
「そうかな?」
「自分で気付いてねーのかよ。一回アルバム見てみろ。風景ばっかの星真と正反対だぞ」
歯を見せて笑った波智は「反撃」とばかりに昴にカメラを向ける。パシャッと小気味良い音が、波の音に混じって海岸に響いた。
そこに、夕月の声が届く。
「みんなー、あんまり遠くまで行っちゃダメだよ」
「おーう!」
片手を上げて返事をしたのは波智だ。しかしその顔からすぐに笑みが消えた。
「夕月は写真撮んねーの?」
「……今日はいいかな」
「今日はって、夕月が撮ってるトコ見たことねーよ」
「そうだったっけ?」
ごまかすような夕月の物言いに、波智の眉が吊り上がる。浅黒い波智の指先が、ビシッ! 夕月を捉えた。
「夕月も撮れ!」
大きな態度の波智にも、夕月は困ったように笑うだけ。
年齢こそ違うが、ふたりは同じ島で育った幼なじみ。夕月にとって、波智は弟のようなもの。それは、昴も同じだった。
「波智の言う通り、夕月もたまには撮ってみたら?」
「うーん、僕、写真って興味ないから……」
「顧問のセリフじゃないぞ、それ」
「僕の意思でなったわけじゃないからね」
のらりくらりとかわそうとする夕月を前に、幼なじみふたりは眉根を寄せる。
「それに、僕カメラ持ってないし」
「俺だって、これ星真のカメラだっつーの! 理音なんかスマホだぞ」
それでも、夕月は首を縦に振らない。
そこに、いつの間にかそばにきていた星真が、手のひらサイズのデジカメを夕月に突き出した。突然のことに、全員が目を丸くする。
「俺の予備……使ったら?」
これで、カメラがないから、という言い訳は絶たれた。それでも夕月は手を伸ばそうとしない。
そんな夕月の態度にため息をついたのは、理音だった。
「何がそんなに嫌なわけ?」
「……別に嫌ってわけじゃないんだけどね」
苦笑する夕月を前に、理音の目がすぅっと細くなる。
「何その言い方。そういうの、ホント、つまんないんですけど」
「天地君、そんな言い方しなくてもいいだろ」
昴が止めるが、理音は眉根を寄せて顔を逸らしてしまう。
すると夕月の手が、星真へと向けられた。手のひらに乗ったデジカメにそっと触れ、軽く持ち上げる。
「小さいだけあって、軽いね」
「ん」
「これ、電源入れたらどうすればいいのかな?」
「自動調整モードになってるから、あとはボタンを押すだけでいい」
星真に教えてもらい、夕月はさっそくカメラを海の方へ向けた。
そんな夕月を横目で見ながら、理音はわざとらしいため息をつく。
「別に無理して撮らなくてもいいんだよぉ~?」
「無理してるわけじゃないよ。本当に……ただ、興味がなかっただけだから」
「あっそ」
軽く舌を出して、理音は今度こそ背を向けてしまう。
そんな彼など当然見えない夕月のカメラが、海から空、そして山の方へと移動して……
「あ」港へ向けられた時、彼は小さな声を発した。
「最後の部員が、やっと到着したみたいだよ」
夕月は柔らかな表情で、シャッターに指をかける。その向こうでは、写真部のメンバーに向かって手を振る女の子の姿があった。学校の制服をひるがえしながら、太陽よりも明るい笑顔を浮かべて走ってくる。
彼女は……
「あんなに走ったらこけないか?」
星波島に住む昴と、
「ぜってーこけるな!」
波智の幼なじみで。
「大丈夫かな……?」
数年前東京からやってきた、星真の隣の住人で。
「いーんじゃない。こけたらもっとブスになって、面白いよぉ~?」
最近東京から転校してきた理音と同じクラスで。
「何言ってるの? 彼女は、可愛いよ」
東京からUターンしてきた、夕月とも幼なじみである。
写真部唯一の女子部員だ。
夕月はそんな彼女を、改めてファインダー越しに見つめた。
星波島で育った彼女は、まだ外の世界を知らない。もしかしたら、一生知ることはないのかもしれない。
だけど、いつか島の外へ旅立つ日がくる可能性もある。
それは誰にもわからない。だって、彼女には無限の未来が広がっているのだから。
その未来をつなぐのは――

「走ると危ないぞー」
「つーか、スカートめくれそうだっつーの!」
「ゆっくりでいいから」
「まあ、こけてブスになりたいならそーしな」
「あわてないでおいで。僕たちは、ここで待ってるから。ね」

――誰?

テキスト:浅生柚子( @asaiyuz5