【BACKSTAGE Story】alternative

「オレ、次のライブが終わったらサポートやめる」
サポートをしているバンドのライブが終わり、ライブでの興奮も冷めやらぬ中、オレはメンバーにそう告げた。
今日のライブの出来や感想、それから次の練習の予定なんかをだべっていたからだろう。メンバーのみんなはオレの言葉を聞いて、一様に驚きを浮かべていた。

このバンドは、三年ほど前からずっとサポートを続けていた。
そこそこ居心地も良かったと思っている。その中でサポートじゃなくてメンバーにならないか、と何度か声も掛けられてきていたが、その度にオレは断ってきた。
サポートを続けていたのは、経験が欲しいから。
オレの根本にあったのはそれだ。
ギターがうまくなりたいと思った時に、ひとりで練習をしていても意味がないと気付いたのはギターを触ってすぐの頃だった。
うまくなるために、誰かにきっちりと教わることも一つの手だろう。実際に、その方が伸びる奴もいる。だが、オレはそれよりも回数をこなして実践で積み上げた方が早いと思ったのだ。
知り合いに声をかけ、いくつかのバンドにサポートとして入ってきた。このバンドも、その内のひとつ。
「なあ、なんでだよ」
さっきまでライブの感想を楽しそうに話していたメンバーは、ペットボトルをぐっと握りつぶしながらオレを見つめていた。
「一応サポートってテイを取ってるけど、お前のことはメンバーだと思ってた」
「……ああ」
このバンドが一番長かった分、メンバーとの付き合いも長い。サポートという形ではあったが、メンバーと一緒に行けるところまで一緒に歩いてきたつもりだ。
(メンバーだった、なんて言われて嬉しい気持ちもある)
だけど、ここまでだった。何かを選ばなければならないタイミングが来てしまった。
「悪いとは思ってる。でも、あっちに集中したいんだ」
すっと楽屋の空気が冷えるのが分かった。
「なあ、それを決めるのは次のライブからじゃなきゃダメか? 俺たちの方も今が正念場だと思ってる。亜蘭がサポート抜けるのをもう少し後にすることはできないのかよ」
「……悪い」
「なら、今よりもサポートの頻度を減らしてでもいい。たまに参加することも……いや、ライブだけでも無理なのか」
「ああ。無理だ」
「……」
こんな突然の話なのに、それでもオレを引き留めようといくつかの譲歩案を出されるが……それの全てに、オレは首を振った。
「……お前っ!!」
すると、そんなオレを見てメンバーのひとりがオレの胸倉を掴む。そいつが持っていたペットボトルが床に落ちて、床を濡らしていった。
「……」
バンドには、そのバンドの理想や夢があって、そこに至るまでの計画がある。どうやらオレは、こいつらの計画の一部だったらしい。
そのオレが抜けるということは、こいつらの理想や夢を壊すことになる。
勝手に組み込んでおいて、なんて思う気持ちもある。
だが、それ以上に怒りの理由が痛いほど分かってしまうから、オレは謝ることしかできない。
「っざけんなよ!!!! さっきから悪いとか、すまないってなあ!」
「……すまない」
「お前どれだけのことをしてるか分かってるのか!?」
「なんとか言えよ!」
「……ああ。悪い」
メンバーに何かを言われるたびに、考えは変わらないことと謝罪を繰り返す。今のオレには、そう言うことしかできなかったからだ。
だが、行き場のない怒りはやがて暴力になって。
「お前!!」
頬に強い痛みを感じた瞬間、オレは床に転がっていた。更に、あいつは一発、二発とオレを殴っていく。口の中に血の味が広がる。
(……いてえ)
それでもオレが口にできるのは悪い、という謝罪だけだ。
殴られた頬は痛む。だが、オレが感じているこの痛みは、こいつらの心の痛みだ。そう思えば、抵抗する気にはなれなかった。
「お前なんか知らねえ!!」
「どうした! 喧嘩か!?」
そのタイミングで声を聞きつけたのか、スタッフたちが楽屋に飛び込んでくる。
床に転がるオレ、そしてオレの前で拳を握ったメンバーを見て、ある程度は察していたらしい。残念ながら、こういうのはよくあることだ。
喧嘩はやめろという顔見知りのスタッフの言葉に、あいつは握ったままの拳を何とか下げて行った。その手は震えていた。
「お前なんかいらねえよ」
「……そうかよ」
ぽつりと呟かれた言葉が刺さる。あいつらはそそくさと楽屋を後にした。
人数の減った楽屋はひっそりとしていて、先ほどまでの興奮はどこにも残っていない。
こうしたのは、オレだ。でも、こうするしかなかった。ダラダラとサポートを続けるようなマネだけはしたくなかった。
胸の内に残る苦いものをぐっと飲み下しながら、手当を受けて――オレも楽屋を後にした。

* * *

家までの道を歩いているとぴりりと口と頬が痛んで、思わず深呼吸した。
「……いってぇ」
さっき食べたラーメンが悪かったからか、それとも手当してくれた傷が痛むのも構わずにバカな話をして笑ったからか……おそらく両方だろう。
おまけに冷え始めた夜風が傷口を撫でるものだから、なおさら沁みる。家に薬あったっけ、なんて思いながらひとりで歩いていると、不意に声をかけられた。
「あらん?」
「あ? ……んだよ、新か」
「ん、俺。あらんちょっと見ないうちにいい男になってる」
「いい男……ああ、これのことか」
口元に貼られたテープに触れると、新はそっと頷く。新はじっとテープを見つめるものだから、オレは殴られた、と口を開いた。
「誰に?」
「サポートしてたバンドの奴に」
「なんで?」
「サポート辞めるって言った」
「そう」
殴られた理由を告げれば、新はくすくすとおかしそうに笑っていた。
(……)
サポートのバンドを選ばずに、『選んだ』のはこいつがいるバンドで。でも『選んだ』方の新はただ笑うばかりだ。
そう思うと、途端にむしゃくしゃしてくる。
「……新、なんか歌えよ」
「えー」
「いいだろ」
「なんかって何」
「なんでもいい」
んー、と少し考えて新が歌いだしたのは、まだ幼い頃に聞いたことのある曲――童謡だった。
「童謡ってなあ、まさかそこ歌うか?」
「歌いたくなったから。あらんもやきいも食べたくなるでしょ」
「オレはさっきラーメン食べたからパス」
「そう」
童謡なんて気の抜けるチョイスに、思わず笑ってしまう。そして笑うと、また傷口が痛んだ。

そのまま家に帰る気になれず、なんとなく新と近場の公園に入る。柵に寄りかかりながら空を見上げると、ふと先程までのことを思い出した。
(痛かったけど……)
それ以上に、アイツらの怒った顔が今になってじわじわと効いてくる。
オレは叶亜とは違って、そんなに器用じゃない。だからこそスタブルがワンマンライブに向かって動いている中、何かと同時にこなすことは出来ないと思った。そう思っての決断だった。
(分かってたさ)
この決断で、メンバーを傷つけることになることは。気だって合ってたし、大事なやつらでもあった。それでも。
(『選んだ』からな)
スタブルを選んで、他を選ばなかった。もう選択する前には戻れない。
「あらん」
「なんだよ」
声をかけられて新の方に視線をおろせば、そこには夜空にあるはずの星が、新の瞳の中で瞬いていた。
「誰も傷つけずに生きるなんて無理だよ」
新の言葉は、掴みどころがなくて唐突だ。けれど、時折頭の中を見透かされたんじゃないかと思う瞬間がある。例えば、今のように。
「んなことは分かってる」
「あらんはあらんが生きたいように生きればいい」
「生きたいように生きれば、ってな……」
その達観したような物言いは、オレより年下だとは思えない。それはまるで……。
「お前、叶亜みたいなこと言うんだな」
「そうかな?」
「ああ」
「いろんなことに逃げずに全部向き合ってぶつかって、それで傷ついても、あらんは負けないよ」
一体どうやって生きてきたら、そんな風な考えをするようになるのかオレには分からないけど。
不思議と新の言葉はオレの中に溶けていく。
「きっとあらんにとっては逃げる方が痛いんだよね」
「……」
「普通の人は、避けたり逃げる方を選ぶのに。でもあらんはそうしない」
「そう……だな」
一度逃げたらまたそこに戻ることが大変だってことは、叶亜とのことでよく知っている。だったら傷ついたとしても、ぶつかったほうがよっぽどいい。
「俺はそういうのすごくいいと思う」
そう口にする新は、なぜだか自分はそうじゃないから、と言っているように聞こえてしまった。
「らしくねえこと言うな、バーカ」
「えー」
頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でると、新は口を尖らせる。分かりやすく不満を表情に出している新は、いつもの新でしかなくて。さっきまでのオレに言葉を投げかけていた新とは少し違ったように見えた。

あいつらを傷つけてでも、オレにはやりたいことがある。
オレの望む理想や夢は、何かと一緒に出来るものじゃない。だからこそ、オレはあいつらを傷つけるという選択肢を選んだ。
(……やるしかねえだろ)
あいつらのためにも、それからオレのためにも、下した決断に後悔だけはしたくない。オレに残された道は、前へと進むことだけだった。