【BACKSTAGE Story】For future self

「あー……なーんかこれじゃないんだよなあ」

紙にはいくつかの単語が書かれていたが、その単語はどれもぐちゃぐちゃと黒で塗りつぶされている。

「うー……」

俺は言葉にならないうめき声をあげながら、握っていたペンをテーブルの上にぽいっと放った。いつもならポンポンと出てくる言葉も、今この時ばかりは思うように出てきてくれない。

(このままだと休み取った意味、ゼロだしな……それに時間だって限られてる)

歌詞を書くためにわざわざ取った休みだったが、手元のメモ用紙のほとんどが真っ白なまま。目標のことを考えると、ここに時間をかけているわけにはいかないのに。

そんな焦燥が、俺の中から生まれつつあった。

*  * *

十月中旬に、バイト先のライブハウスで亜蘭がサポートをしているバンドが出演すると知ったのは、随分と前のことだ。それなりな古株のスタッフという自負はあるので、ライブをするメンバーを除けばかなり早い段階で知っていただろう。

そして普通、ライブ後にはそのまま打ち上げという名の飲み会になることが多い。実際に俺たちスタブルもそうだし、亜蘭がサポートをしているバンドだってそうだ。

そんな中で俺は、亜蘭にライブ後、どうしても飲みに行きたいと声をかけた。

俺が作った曲の作詞を、俺がするかどうかすら悩んでいたからだ。もちろん、自分で作詞したい気持ちもあるにはあるが……それ以上にこの曲を一番生かしてくれるような、そんな歌詞の方が良いのではと思っていた。

亜蘭は、音楽に対して絶対に嘘はつかない奴だ。曲がそれで良くなるなら、亜蘭はきっぱりと言ってくれるだろう。

「依空じゃねえほうが良いだろ」

と。

(亜蘭なら、その辺り信頼できるからな)

とは言え、ライブ後の打ち上げもある。俺としては急ぎの方がいいが……さすがに打ち上げを優先するだろうと思っていただけに、どこかダメ元の気持ちだった。

しかし亜蘭は、しかたねえといいながらも俺の方に来てくれたのだった。

「今日の亜蘭くんは随分と素直だな♥」

「帰るぞ」

「まあまあそう言わずに。こう見えても感謝してるんだよ」

「ならおごりな」

「今日、ひもじいんだよな~。おごりたい気持ちはあるんだけどな~。気持ちだけはめちゃくちゃ亜蘭におごりたいんだけどな~」

「ひもじいのはいつもだろ」

その言葉に、俺は頷くことしかできなかった。

バイト先の後輩も誘って、適当に入った居酒屋でいくつか料理を注文した後、なんだかんだ本題に入れずにいた俺の気持ちを察したのか、後輩は下手くそ過ぎる言い訳を残して帰って行った。そんな不器用な気遣いに感謝しながら、早速本題に入ることにする。思えば、亜蘭とのサシ飲みは久しぶりだった。いつもは叶亜がいることが多いからだ。

「んで、今日どうしても飲みたかったのは……新曲のことでな」

そんな言葉と共に現状について説明していると、亜蘭は呆れたような表情をしている。

「……ってなわけで、どうしようか悩んでるんだよなー」

技術的なことで言えば、作詞を担当するのは叶亜や新の方がいいだろう。ふたりは作詞をした経験があるし、何より誰かに寄り添うような歌詞が書ける。

(誰かに寄り添うような歌詞は……俺にはきっと難しいからな)

今回作詞について一歩を踏み出せないでいるのには、もうひとつ理由がある。

歌詞に、俺の心が乗ってしまうということ。一度作曲をしたとはいえ……俺自身をさらけ出すことに抵抗がないとは言えなかった。

そういったことを加味して総合的に考えると、俺は誰かに歌詞を頼むべきだろう。

(でも……な)

俺の中にやってみたいという気持ちもあった。誰かに頼むにしては未練があったのだ。

(前ならこんなことで悩んだりもしなかったのにな~)

やってみたいと思っても、スタブルの未来のことを考えればやるべきじゃないと、スッパリ諦めただろう。

「んで、依空はんな簡単なことで悩んでたのかよ」

「悩んでたさ。ベストはどれかなんて分からないからな、俺にも……他の奴にも」

「まあな。でもどうすりゃ良いかなんて答えはひとつだろ」

亜蘭はそう言い切った。

「答え、なあ……」

ビールジョッキを片手に、その先を催促するように亜蘭を見れば……。亜蘭は真っすぐな瞳で俺を見返していた。

「どうするべきかって考えるんじゃなくて、結局は自分がどうしたいかじゃねえの」

どうしたいか。

そんなのは簡単だ。まだ自分をさらすのにも抵抗はあるが、やっぱり作詞をしてみたい。

「それは……確かにそうだな」

亜蘭の言ったことは当たり前のことだったが、俺の頭の中からはすっかりと抜け落ちていたこと。当たり前のことだからこそ、すとんと俺の中に落ちて来る。

「俺が言えるのはそれくらいだ。参考になったのかは知らねえけどな」

「いや、参考になった。おかげでどうするかは決まった」

「そうか」

頷いた亜蘭は、俺の答えを聞こうとすることはなく。最後のひとつだったから揚げを取っていくだけだった。

*  * *

「って啖呵を切ったはいいけど……」

そんな経緯があり、今日はバイトを休みにして作詞をしようとしていた――が、なかなか進まない。

“Seekerの気持ちにキスするような曲を”

そう思って作曲をしてきたが、いざその曲に合うような歌詞を書こうと思うと考えがまとまらなかった。

前回の『Key Link Heart』の時は、俺の音楽への想いを込めていったら歌詞としてまとまった、という感じだった。もちろんその時も悩みはしたけど、ここまでではなかった気がする。

「んー……」

頭の中でいくつかのワードが浮かんではくるが、どれもしっくりこなくて消えていく。

「あー……クソ。時間もそんなにないのに」

大きくため息をひとつ。

休憩とばかりにごろりと寝っ転がろうとすると、偶然にも積み上げったCDの山に腕が当たる。

「……まじかよ」

慌てて手を伸ばすが、手の間をすり抜けてCDの山は崩れていった。上手くいかないときには、なにもかも上手くいかないものだ。

ここらがいいタイミングだろう。俺は気分転換も兼ねて掃除をすることにした。

数分掃除をしているだけで、随分と綺麗になったような気になる。……掃除といっても、床に転がったごみをひとまとめにして、崩れたCDを再び山にしているだけだったが。

「……あ? なんだこれ?」

今にも崩れかけそうな雑誌とスコアの山を崩れないように整えていると、一冊のノートが目に付く。部屋の隅の方にあるということは、大分前に放置したものだろう。

「こういうときこそ新しいアイデアを入れるのも大事だよな」

適当にほっぽいていたそのノートを引っ張り出すと、表紙には「数学」という文字と、俺の名前が書かれている。恐らく数学の授業で使っていたノートだ。

学生時代のものがまだここにあったという事実に驚きながらも、俺はそのノートを開くと、さっぱり訳の分からない数式と共に、学生時代のある出来事を思い出した。

*  * *

午後一番の授業はいつだって眠い。それが数学ともなればなおさらだ。

いつもなら教科書とノートを枕がわりに、睡魔に身を任せていたが……今日は違った。

あいつと一緒にバンドを始めることになったからだろう。誰かを殴るための拳がドラムスティックに代わるのにそう時間はかからなかった。

それと同時に、あんなにもつまらなくて暗いだけだった俺の身の回りですら、こんなにも音にあふれ、そして楽しいことを知った。

教師の声をBGMに、今の俺から零れてくる想いを忘れてしまわないようにノートに書いていく。

そのどれもが希望と期待、理想といったキラキラしたものに満ちていて……。楽しくて嬉しい気持ちは書いてもなくなることはない。不思議なことにどんどん溢れていく。

ノートの八割が俺の気持ちでいっぱいになったとき、横から伸びてきた手にノートを取られた。

「何書いてるんだ?」

「あっ、って返せって」

隣りの席に座っていたあいつは、俺のノートを奪って読んでいるらしい。俺の心の中を丸裸にされたみたいで、羞恥心が湧き上がる。

あいつの手にあるノートを、あいつがしたのと同じように俺は強引に奪いかえす。そしてもうこいつに見せるもんかと返ってきたノートを閉じた。

ちらりとあいつを見れば、楽しそうに笑っている。恥ずかしいやつだ、なんて笑われるだろうとあいつを見るけれど……。

「結構いいじゃん! 依空らしい感じだし、今度これで曲作ろうぜ! きっと俺たちならすげーいい曲作れるだろ」

「……ああ、なら準備しておく。お前も曲考えておけよなー」

「おう」

あいつの言葉に、いつの間にか恥ずかしさは消えていた。

*  * *

汚い字でノートに綴られた、真っすぐな俺の想い。青臭くて、恥ずかしげもない、理想ばかりの歌詞。楽しかったあの頃と、これから先自分の歩む道は間違いではないのだと信じていた俺。

残念ながらそれらの全てが理想でしかなかったけれど……それでもノートに綴られた言葉たちは、あの時の俺の『本当』だった。

(……よくこんなこっぱずかしい歌詞、書けたよな)

あの頃よりも沢山のことを知り、体験してきた。だからこそきっと今の俺には書くことのできない言葉たちだ。あの時の俺にしか書けなかったもの。

「歌詞、これにするか」

あの頃に向き合うのには丁度いい頃合いだ。

俺はまだあいつのことを忘れられないでいる。加えてあいつとの思い出の中には、楽しいことに混じって苦しいことも、思い出したくないこともある。

(でも、これが本物だしな)

俺はテーブルの上にあるペンを再び握って、真っ白なままの紙に向き合うことにする。

『夕焼け』に『想い出』。それから『運命の糸』、『キオク』。

さっきまで何も出てこなかったことが不思議なほど言葉が湧いてくる。想い出の中から言葉を取り出してくる作業は、痛みを伴っていたけれど……今の俺には必要なことのような気がした。

理想は理想で、これが現実になることはないだろう。

ノートの中は、あの時の俺があの時の俺のために書いた歌詞で。それでもこうして今の俺にも届いたように。

今の俺が今の俺のために書く歌詞が、未来の俺にもいつか届けばいい。

そして、俺の大事な存在にもまたひとつ寄り添えたら――。

そう思いながら、またひとつ湧いてきた言葉を紙に書き足した。