【BACKSTAGE Story】Smoking time Vol02

こうしてこのスタジオの喫煙所にいるのも久しぶりだった。
(あー……まじでどれくらいぶりだ?)
息を吸えばチリチリと短くなっていくタバコを手に、ふと今までのことを振り返る。

ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。
実際に“解散”の二文字がちらついたことだって一度や二度じゃない。
(叶亜と亜蘭のゴタゴタに、新が喉を壊して……。そういや有貴と連絡が取れなくなった時期もあったか)
毎回毎回、ヒヤヒヤするような綱渡りをしてばかりだった。けれど首の皮一枚で繋がって——なんとかひとりも欠けることなく、再びスタブルとして活動できる状態に戻りつつあった。
そして6月29日。
方々に声を掛けて久しぶりにライブに出る算段が付いたのだ。
(やっぱ持つべきは人脈だよな~)
とは言えゲストなので、やれる曲は多くて3、4曲程度だろう。それでも、やるからには手を抜かないのが俺たちの信念だ。
時間の都合をつけて、馴染みのスタジオで5人揃って練習している——というわけなのだった。
(あ……)
ぼんやりしながらだと、タバコの一本はあっという間だ。次の一本を吸うべく尻ポケットを探り、潰れたタバコの箱を取り出す。その中からもう一本取り出そうとしたものの、箱を振っても何の音も聞こえてこない。中を見れば空だ。
(……もう一本吸う気持ちだったのになー。ここで終わりにしてもいいけど……)
スマホで時間を確認してみれば、もう一本分くらいの時間はあるだろう。
「なあ叶亜」
隣で同じように煙をくゆらせる叶亜に、『ちょうだい』とばかりに手を出した。
「んー」
けれど、叶亜から返ってきたのは生返事。
「おーい、叶亜。ちょうどラスト一本だったから、もう一本欲しいなって思ってるんだけどな~?」
「はいはい」
ああそういうこと、とひとつ頷いて。叶亜も俺と同じく尻ポケットに突っ込んでいたらしい箱を俺に差し出してきた。視線は、手元のスマホから動かないままだ。
叶亜からもらった一本を大事に吸おうと思いつつも、気になったのは叶亜の手元のスマホだった。
さすがに練習中にスマホを見ることはなかったが、それ以外の時間がずっとこうだ。
思えばここ数日の練習での休憩中——喫煙所で叶亜とこうして話をしているときも、スマホの画面を覗いていた。
「なんだ、真昼間から亜蘭には見せられないえっちなのでも見てんのか?」
なんて笑えば、ずっとスマホに向けていた視線がこちらに向いた。
「違うってば。というか、依空と一緒にしないで」
「おいそれどういう意味だよ」
「自分の胸に手を当てて考えてみれば?」
叶亜の言葉は聞き捨てならないが、一応言葉の通り、胸に手をあててみる。
「今日もタバコはうまくて~、今度の飲みで叶亜が奢ってくれたらいいのにな~って思ってて~、そういえば最近女と遊んでないな~っていうのと~……」
浮かんできたことをそのまま口に出せば、叶亜は呆れたような表情を浮かべていた。
「……どうせそんなことだろうと思った。依空、最近遊んでないんだ。珍しいね」
「そりゃ、まあ、忙しいからな。どっかで女の一人や二人、ひっかけるか」
「一人や二人って……女の子を泣かせちゃダメだよ?」
「どっちかっていうと、泣かされてるのは俺の方だけどな」
俺になびかないその女は音楽の女神なんて名前をしているが、ここは敢えていう必要はないだろう。
「んで、えっちなのじゃないなら何見てるんだ?」
グッと身を乗り出して叶亜の手元を覗き込めば、そこに写っていたのは動物の動画だった。
「……鹿?」
「そうだよ~。研究のためにね」
真面目な顔をしてスマホとにらめっこしていた理由に納得する。この友人は、根はなんだかんだと真面目だ。
「色々調べて知ったんだけど、鹿って一定距離に人間が入ってくるとすぐに逃げちゃうくらい臆病なのに、観光地の子は『鹿せんべいちょうだい』って鼻でツンツンしてくるくらい図太いんだって。面白いよね」
なんて同意を求めるようにおかしそうに笑ったが、いやいやそれ以上に。
「まんま叶亜じゃん」
「僕が? そんなことないよ!」
「自分の胸に手を当てて考えてみろっての」
今度は叶亜が胸に手を当てて考える番だった。
「うーん……草食だって思われてるけど実は何でも食べちゃう雑食なところ? それとも……意外と愛情深いところ?」
「いやそういう図太いところが似てるって」
「も~依空の図太さには勝てないよ~」
ふたりしてそんなまとまりのない話をしていると、不意に叶亜が「いいこと思いついた!」と声を上げた。
「なんだよ、急に」
「僕たちがお酒飲んでるところを配信したら、Seekerも一緒に飲んでる気分にならない?」
いきなり何を言いだすかと思ったらこれだ。鹿の動画を見ていたから思いついたのだろう。叶亜の言うそれは、案としては面白いと思う。だけど。
「それは却下」
「え、なんでなんで?」
「さすがに痴態はさらせないだろ~?」
そっか、と叶亜はあっさりと納得して引き下がる。こう見えて頑固だから、もっとごねられるかと思っていた。
(配信、か)
俺はともかくとして、新も亜蘭も飲むと眠くなる性質らしい。ただでさえ少ない口数がそれ以上に少なくなるから却下、なんて思っていたら。
「依空すぐゆるゆるになっちゃうもんね」
そんなことを言いながら叶亜はくすくすと楽しそうに笑うので、つい「おい!」とツッコミを入れた。
まあ、確かに。
今まで何度も叶亜と、それからスタブルのメンバーと飲んできた。そしてその空気が楽しいからか、酒を飲むスピードも早く、結構な頻度でゆるゆるになってしまっていたのも事実だった。
そうした姿を撮られてSNSにアップされたこともあったか。そのことはさほど嫌だと思わなかったのも意外だった。
「っていうか叶亜も潰れてることあるだろ」
「依空ほどじゃないけどね」
「……それもそうか」
叶亜はそう言うと、再び手元のスマホに視線を戻した。
ゆるゆるになるほど飲んでいるというのは、それだけ気を抜いて飲んでるということなんだろう。
(それにしても)
叶亜を見ながら、ついさっき言われたことを思い出す。
『も~依空の図太さには勝てないよ~』
叶亜に言われた通り、俺が図太いことは否定はしないけれど。
この友人という名の共犯者には、なんだかんだと本心を見抜かれているような気がする時もある。きっと俺の本心を知ったところで、「まあ依空だし」なんて言って笑うだろう。
「……なに? もう僕の分のタバコもないからあげられないよ?」
「いや、何でもない」
「そう? それならいいけど」
少しばかりいたたまれなくなって、俺も自分のスマホを手に取った。そして何の気なしに『鹿』と『性格』という文字を打ち込んで検索してみる。
こうしていると、人の良さそうな顔は本当に人畜無害に見える。けれど検索して引っかかったページに『意外と凶暴』なんて書かれているのを見つけて、俺はつい笑ってしまったのだった。
(確かにそうかもな)
基本的には温和だし、その一面があるのは事実だろう。けれど、それだけではない部分も確かにあるのだから。

* * *

「またここいた」
それから数分してふらりと喫煙所に姿を現したのは新だった。叶亜は新が来た瞬間、まだ長かったタバコを灰皿の押し付けた。俺も新に煙がいかないよう、そっと遠ざける。
「もしかして休憩時間過ぎてた?」
「ううん。水欲しくなったから買いに来ただけ」
「そっか」
叶亜はもう満足したらしく、喫煙所を後にすることにしたようだ。新は俺と叶亜の顔をじっと見つめて、それからぽつりと口を開いた。
「とあといそらのそれ、タバコ?」
「えーと……まあそうだね」
「苦い?」
「甘くはないかな」
「じゃあ面白いの?」
「面白くも……ないかも知れない」
「タバコってどんな感じ?」
「どんな感じ、か……全然考えたことなかったかも。でも吸ってるとぼんやり考え事しちゃうから、お酒と似てるかも?」
新に質問攻めにされて、叶亜は困ったような表情を浮かべていた。珍しく俺に助けを求めるように視線を投げてくる。
「そうなんだ」
新はどこかウズウズとしているように見えた。
……これは、もしかして。
「どんなに興味があってもタバコはダメだからな」
「俺もう吸える歳なのに」
「それでもだ」
「いそらは吸ってるのに」
「それでもダメ」
新の喉の状態を悪くするものを、俺が薦めるはずがない。
「いそらのけちんぼ。いじわる」
「どんなに言われてもダメなものはダメだっての」
新は随分と不満そうだ。それもそうか、ここでふたりして吸っていたのだから、興味を持つなというのが無理な話か。
かくいう俺だって最初はこの程度の興味から始まったような気がする。とはいえ、このまま『ダメ』で引き下がるかどうかは微妙なところだろう。
何か他のもの……とポケットを探ると、いい物が入っていたのを思い出した。それを新に手渡す。
「ほら、代わりにこれにしとけって」
「変なのじゃない?」
「普通のだよ! 居酒屋行ったとき、帰りに貰っただけだっての」
「それならいっか」
新に差し出したのは、居酒屋で口直し用にと貰った棒付きの飴だった。
「……しょうがないからこれで我慢する」
「ああ、そうしとけ」
新は「オレンジだ」なんて言いながら早速包装をぺろりとむいて、飴を口にくわえた。
「これでとあとお揃い」
「僕はもうないけどね?」
「それでもお揃い」
「そうだね」
新は満足そうに笑っていた。

「じゃあ僕は先に戻ろうかな。依空はそれ吸ってからだよね?」
「おー、そのつもり」
「じゃあ行こっか」
叶亜は新を連れて、先に戻っていく。
「あ、依空」
「なんだー?」
叶亜は何かを思い出したようで、唐突に振り返った。
「さっきの配信は冗談だけど、スタブルメンバーの声を届けるのは悪くないと思ってるんだ。だから考えてみてよ」
叶亜の言葉に俺は少なからず驚いて、咄嗟に言葉が出てこなかった。それでも、俺が口にした言葉は。
「お前の声もそこに含まれるけど?」
俺が何が言いたいのかは、それだけで充分に伝わったはずだ。
「それは、まあその時考えるよ」
「……分かった。そこまで言うなら考えておく」
前なら、確実に嫌がっただろう。はじめは『僕はマスコットキャラクターで』なんて言っていて、次にはサポートになって。頑なに矢面には立とうとしなかったというのに——それが、今ではこれだ。
(変わるもんだな)
その変化は純粋に嬉しくありつつも、俺が叶亜という人間を測り間違えていたことを示していた。

スタブルのメンバーは、俺が想像しなかったことを簡単にやってのける。いつだって想像の上を超えていくのだ。
(——だからこそ)
だからこそ、面白い。
簡単に予想できることを当てるよりも、簡単には予想できないことを当てる方がずっと気持ちがいいのだから。
「……うし」
すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付けて、練習に戻るべく喫煙所を後にした。頭のなかでは叶亜に言われた“声の届け方”をどうするべきかと考えながら。