Side Isora
「~~♪」
打合せ終わりに入ったラーメン屋で注文したラーメンを待っていると、隣に座っていた新が鼻歌を歌っていることに気付いた。
「いきなりどうしたんだ?」
一小節歌い終えてから、新は口を開く。
「さっき流れてた」
「確かにここに来るまでに、街頭モニターで流れていたね」
「ふーん」
有貴は新の言葉に頷くが、俺にはさっぱり覚えがない。それでも二人が言うのだから、事実なのだろう。
年の瀬も迫る中、メンバーに招集をかけたのは先日星波島で行われたライブでの反省会のためだった。ライブそのものは成功に終わったが、新は突然いなくなって観光大使である写真部の人たちに随分と迷惑をかけた。新が脱走してその辺で眠りこけている、なんてことは今までにもあったが、それでも他の人に迷惑をかけたのは想定外だ。
それも含めて反省会――とは言ったものの。
実際のところ、先日受けたインタビューが掲載された雑誌が発売され、それを集まって見るためだったりする。
「いそら」
注文したラーメンを啜っていると、新が何かをねだるように手を伸ばしている。
「なんだよ?」
「お年玉ちょうだい」
「……は? 俺、年末で何かと入用だから懐寂しいんだけどなー?」
ただでさえ忘年会と新年会のラッシュで懐が冬になっているというのに。ラーメンを食べに来ているだけなのに、何故新にお年玉をねだられているのか。怪訝な表情のまま有貴を見ると、新はさらに続けた。
「ありたかと、とあからはもう貰った。後はいそら」
「……有貴、新にもお年玉あげたのかよ」
「そうだね。少し早いけれど、この前会った時にね」
豚骨ラーメンを啜りながら、しれっと有貴は答えた。
「いそらは、くれないの?」
「はあ?」
上手く理由を付けてかわすか、それとも折れてやるか。
この気紛れな猫のような存在に、首輪は付けられなかったとしても、少しでも飼いならしたいという想いが頭をよぎる。そう考えると新のこの発言は、チャンスだ。
「……分かった分かった、コンビニで好きなもの買ってやるから。それでいいだろ?」
選んだのは後者だった。
「じゃあ遠慮なく。ありがとう依空」
「いや有貴には言ってないからな? そもそもお前同い年だしお前の方がちょっとだけ年上だろ!」
「数か月なんて些細な時間だけれどね。残念」
有貴は悪びれもせずにこう言うことがある。それもらしい、と言えばらしいけれど。
丁度そのタイミングで、ポケットに突っ込んでいた携帯が震える。
開いてメッセージの送り主を確認すると、亜蘭だった。
「あー、そいやあいつらっていつ戻ってくるんだ?」
「叶亜からは今年中って聞いたけどね」
「ふーん。あいつらも大変だよなー、親と一緒に接待だったっけ?」
「そうだね」
昨日亜蘭に送ったメッセージには「既読」のマークがついており、亜蘭らしい返信があった。
「『クソクソクソ暇』ってなあ」
本当に暇なら、今頃向こうにはいないだろう。
亜蘭からのメッセージに苦笑しながら『頑張れよな』と返すと、一瞬で返信が来る。その文字は『うるせー』。
「まあ亜蘭は元気そうだなー」
「そう。それは良いことだね」
有貴の言葉に頷いた。
四月以降の話をすると、決まって叶亜の表情は少しだけ曇り、それを見た亜蘭は舌打ちをし、有貴の眉が微妙に寄る。……新は相変わらずだったが。
せっかくここまで来たんだから、何とかやっていきたいと思うのは当然だ。掴みかけたものをみすみす手放してたまるか。このメンバーでなら、のし上がっていけると思ったんだ。この先の道をつくるためなら、例えそれが強引であってもやるしかない。
いっそ四月以降にライブの予定をいれるか? それとも無理やり曲を出して先に事実を作ってしまうのも手か……? そうしたら叶亜のことだ、きっと逃げられないだろう。
叶亜を繋ぎ止めるものが罪悪感だっていい、スタブルを大きくしていくには叶亜が必要だ。
けれど、浮かんでくる方法はどれもが決め手にかける。
「んー、どうしたもんかなー」
「いそら」
「ん? なんだよ」
「麺のびる」
「うわまじかー」
その言葉に新と有貴を見れば、もう空になっている。
やめたやめた、ごちゃごちゃ考えるのは後だ。残っている麺を啜って俺は店主に告げた。
「おっちゃん、替え玉一つ!」
Side Aran
数時間に及ぶ打合せが終わり、ホテルの会議室を出る。着慣れないフォーマルな服は窮屈で仕方なかった。
「……はあ」
だる、と口から出かけた言葉を慌てて飲み込む。流石に相手方がいるのにその対応はまずいことくらいは分かる。
家族ぐるみでお世話になっている社長一家との打ち合わせは、鈴音家の年末恒例の行事だ。もう何度も参加しているが、それでも慣れることはなかった。
先頭を両親と相手の社長が、その後ろを叶亜が歩く。先頭の三人から話を振られる度に、にこにことしながらそつなく返していることが後ろからでも見て取れた。
打合せ中にもそれとなく次の社長は叶亜だと話していたし、叶亜もそれを聞いても反論をしなかった。今は両親の後ろを歩いているが、あと少しでそれも変わる。
近い将来、叶亜はお遊びでやってるバンドなんてやめて社長になる。それがオレたちの間に横たわる真実だった。
にこにこと笑いながら両親の言葉に頷くあの顔は、自分のやっていることが、オレの為だと疑いもしない顔だ。
クソクソクソ、くだらねえ。自分がそうすればすべて丸く収まると思っているんだろう。その顔が無性に腹立たしい。
「亜蘭?」
ふと振り返った叶亜が不安げな表情で伺う。打ち合わせ中も黙りこくっていたらから、体調が悪いのかと心配でもしているんだろう。
「どうしたの、大丈夫?」
どうもしねーよ。
きっと叶亜は、何のためにオレが大学に行き、そして商学部を選んだのかも知らないんだろう。
そりゃ帝王学を齧っている叶亜には変われないが、少しはオレにだってその重さを分けてくれればいいのに。
あの頃とは違って、オレは全てから守ってもらわなきゃいけない程小さくも弱くもない。
叶亜の魔法の手はみんなを魔法にかけるくせに、自分にはかけようともしなかった。魔法にかかったことで、変わることも、変えられることもあるかも知れないのに。それを、最初から選択肢を切り捨てて。
考えれば考える程腹が立ってくる。なんでだよ、クソ。
残された時間で、オレにできることはなんだ?
両親を説得する。叶亜を説得する。後戻りが出来なくなるくらいスタブルが大きくなる。
それから、叶亜がスタブルを続けながら社長をできるようにオレが支える。
そのどれもが目の前に立ちはだかる壁だった。
「……クソ」
叶亜の言葉を無視して携帯を見れば、依空からメッセージが届いていた。
『そっちはどうだ~?』
依空らしい能天気な言葉に無性にイライラして、『クソクソクソ暇』と返す。一瞬で既読の文字が付いて帰って来たのが『頑張れよな』。
うるせえ。
頑張らなきゃならないのは、オレが一番分かってる。