【BACKSTAGE Story】a secret actor

久しぶりのあらんの部屋に「お邪魔します」とつぶやいて、部屋へあがる。
「ん。……分かってると思うが散らかすなよ」
「うん」
俺の後ろでバタンとあらんの家のドアが閉まった。
部屋の中央に置かれたローテーブルの足元に、お気に入りのクッションが置かれていたのでそっと確保する。
「……」
「んだよ」
「なんでもない」
ちらりとあらんを見るけれど、いつものことか、とでも思ってるのかも。俺は気にせずにベッドを背もたれにして座り込んだ。
「あ……」
「麦茶でいいよな」
そう言いながらあらんは俺の前に麦茶の入ったコップを置いた。
(俺、まだ何も言ってないけど。いっか)
コップには氷がいくつも入っていて、ここまで来るのに暑かったからありがたい。半分ほど一気に飲み干して、俺は口を開いた。
「あらん、いつから?」
「いつ……って何がだ?」
あらんは何のことだから分からないと言った顔。
俺はローテーブルの上に無造作に置かれたプリントに視線を投げる。いくつか書き込みがあるから、きっとこれは講義のレジュメだろうと思う。
「あーテストか。今週の月曜から、だな。つってもほとんどレポート提出で単位取れるのばっかでテストは二つ。あとは出欠だけでなんとかなる奴」
「……ずるい。俺ほとんどテストなのに」
「まあ新はな。学科が学科だししょうがねえだろ」
「そうだけどずるい」
あらんの言うことはその通りだったけど。レポートとテストなら、レポートの方が楽に決まってる。俺が取っている講義で、出欠だけで単位をくれるのなんて一つもない。
「フル単?」
「あー……ヤバめなのがちょっとあるが……まあ何とかなるだろ。そう言う新はどうなんだよ」
「んー……大丈夫。多分」
おい……とあらんは呆れたように息を吐いた。
テストの勉強も何もかも、今までと同じようにやればいいだけ。
大学で単位を落とさずにしっかりやってるのが、きっと両親から求められてる俺。『誰かが求める俺』でいるのは俺にとってそんなに難しいことじゃなかった。俺にとっては。
「そいやここ最近ずっと食堂で勉強してたんだけど、意外と俺のとこのレベルが高いらしいんだよな」
「そうなんだ。今度食べに行く。あらん案内してね」
お腹からふわふわと湧き上がってくる楽しさに笑っていると、あらんは『しゃーねえな』と頭を掻いていた。
「もう決定事項かよ。まあいいけど」
「ん」
こんなことを言ったけど、今度こっそりあらんの大学に行ってみるのもありかも。
(多分、ありたかも乗ってくれる。とあも一緒に行ければいいけど……もう働いてるから難しいかも)
こんなことなら、もっと早くからあらんとこんな話をしてみれば良かったかも、なんて思う。そうしたら、とあがまだ大学にいる間に実現できたかもしれない。
「って曲聞きに来たんだろ」
「そうそう」
「俺が作ったのはこれ」
そう言うとあらんはノートPCを立ち上げて、一つの音楽ファイルをクリックした。
「♪~」
部屋にあらんの作った曲が、想いがあふれていく。
まだタイトルさえない音の塊たちは、あらんらしいのにあらんらしくない不思議な曲。でもこの曲、あらんだけじゃなくて……。
「叶亜に協力してもらったんだよ」
「そっか。うん、ところどころにとあがいる」
わくわくするところは、あらん。優しいところは、とあ。
そのふたつが混じって、この曲が作られていた。
「新が言うなら……やっぱそうなんだろうな」
うん、抱えたクッションをつつきながら答える。でも、これでいいと思う。
「それが、今のあらんだから」
俺の言葉にあらんはちょっと眉を寄せたけれど、でもしっかりと頷いた。多分、昔だったら『やめろ』って言ってたと思う。ただそれだけのことが無性に嬉しかった。
「まあそう言うわけだから歌詞よろしくな。ちゃんとこれに見合うだけのもん持ってこいよ」
「ん、分かった」
それからあらんの部屋でちょっとだらだらして。買いだめしていたというお菓子を食べて、あらんの部屋を後にした。
(いいこと思いついた)
なんて俺が考えていたことを、あらんは知らない。

* * *

『イチャイチャしよ?』なんてメッセージを送った翌日、俺は居酒屋に来ていた。
『乾杯』なんて声と共にグラス同士をぶつける音、時折聞こえて来る他のお客さんの笑い声。
(楽しそうで、これもいいかも)
個室ということで微かに聞こえて来る音たちに耳を傾けながら、俺はじっと待っていた。
「新! 待たせちゃってごめんね……!」
パタパタと慌てた様子で俺の前に現れたのは、メッセージの送信先でもあるとあだった。
「だいじょうぶ、ちょっと前にきたところ。それにとあのこと考えてたらすぐだった」
「ふふっ、待っててくれてありがとう。嬉しいなあ~」
スーツ姿のとあは、熱そうに袖を捲り直していた。併せてネクタイも首元から抜き去っていく。
とあはレモンサワーをひとつ注文して、俺の前にあるグラスを見つめた。
「あ、僕お酒注文しちゃった。ごめんね?」
「大丈夫。気にしないで」
「それに珍しく赤ワインじゃないんだね」
これから少し真面目な話をするから、今日の俺の一杯目はオレンジのロック。
「もうちょっとしたら赤のぶどうジュースにする」
「そっか。ここにこんなお店あったなんて、僕知らなかったよ」
とあは言葉とともにきょろきょろと見回す。
「前にありたかに連れてきてもらった」
「言われてみれば有貴が好きそうな雰囲気かも。だからワインの種類も多いんだね」
とあは納得して、メニューに視線を走らせた。
それから頼んでいた料理をふたりでつつきながら、俺は本題に入ることにする。
「これ」
とあの前に置いたのは、俺のスマホ。この中には、あらんに送ってもらった曲が入っている。もしかしたら、とあは歌詞の相談だと思ってるのかも。
俺はまだ「no title」と表示されている曲の再生マークをタップした。
スマホから流れる曲に、とあは目を瞑って聞いているようだった。

「そっか、最終的にこうなったんだ……」
あらんはとあに協力を仰いだと聞いていたけれど、完成形は聞いていなかったらしい。
目を開けたとあの瞳に浮かんでいたのは。
「とあ、嬉しそう」
「嬉しいよ。亜蘭の曲であるってことももちろんだけど……それ以上に素敵な曲だから。これに新がどんな歌詞を添えてくれるのか……楽しみだな」
そう語るとあを見て、俺のしようとしていることはきっと間違いじゃないと思えた。
「俺、聞いた時からずっと思ってた」
「……うん?」
「この曲はとあに歌詞、作ってもらいたがってる」
「え?」
「とあ、隠してるけど本当は歌詞書けるでしょ?」
俺の突然の言葉に、とあは驚いていた。
「それ、は……。でも……」
とあは困ったように眉を下げて笑っている。
「……僕が作ったら、きっと亜蘭は嫌がるんじゃないかな。こんな素敵な曲に、そういう”嫌だな”って思いはどこにも乗せたくない」
だから僕にはできないよ、ととあは呟いた。
どうしてとあは、そう言って笑うんだろう。俺にはとあの心の中も、あらんの心の中も、全部は見えない。でも、とあのそれが本心じゃないことは分かる。
「そんなこと、ない」
言い切りながらじっととあの瞳を見つめれば、とあの瞳はぐらぐらと揺れていた。
(多分、もうひと押し)
「きっととあが歌詞を書いたら、この曲はもっといいものになる。俺じゃダメ。とあにしかできない」
「そんなこと……」
「そんなこと、ある」
「……」
「あらんと向き合ったとあだから、できる。だから俺にはできない」
「そ、その言葉はズルイよ……!」
とあは顔を隠すように、レモンサワーをぐっと煽った。頬の赤さは、多分お酒のせいじゃない。
(とあ、結構お酒強いから)
「この曲聴いて、俺は楽しいなって思った。その楽しいなって思いを、とあならもっともっと大きくさせられる」
「楽しい、か……」
俺の口にした『楽しい』という言葉になにかが引っかかったのか、とあは目を瞑った。そして、ぽつりと「分かったよ」と呟く。
「……本当はやってみたいって心のどこかで思ってた」
その言葉に、俺は心がふっとあたたかくなるのを感じた。
「背中を押してくれてありがとう。僕、亜蘭の作った曲に、最後まで寄り添いたい」
「できるよ、とあなら」
「そう……だと良いんだけどね」
苦笑しながらも、とあの顔に浮かんでいるのは優しい色だった。

「新はいつも僕たちを繋げてくれるんだね」
ぽろりととあの口からそんな言葉が出てきたのは、それから二回ほどお酒を頼んでからだった。
俺はぶどうジュース……という名の赤ワインが入ったグラスをテーブルの上に置いた。もう残りはほとんどない。
「そうなのかな?」
「そうだよ」
そんなに言われるほどのことをしたなんて、俺は思ってない。ただなんとなく、こうした方がみんながあったかくなれると思ってただけ。
それが表情に出たのか、とあはさらに言葉を続けた。
「新自身はそう思ってないのかもしれないけど……でも、亜蘭も、有貴も、きっと依空でさえそう思ってるよ」
「んー……いそらが思うのはちょっと面白いかも」
「ふふっ、そうだね」
くすりと笑いを零せば、とあもそれに合わせて笑っていた。
「そうだとあ、明日も時間ある?」
ええと……と言いながら、とあはスマホのスケジュールアプリを起動する。ちらりと見えた画面には、たくさんの予定が詰まっているように見えた。
(俺も、もしかしたらいつか……)
いつか来るであろう未来のことを考えると、少し憂鬱になる。でも多分、これも仕方がないこと。
「うん、明日もこれくらいの時間に来られると思うよ?」
「分かった」
そう言いながら、手にしたのは俺のスマホ。アプリを立ち上げて、メッセージを打ち込んでいく。
「亜蘭に?」
「うん」
数分後、スマホの画面は新着メッセージを受けて明るくなる。
『歌詞の話したいから明日行っていい?』というメッセージの返信は『ああ』なんてあらんらしいもの。
(あらん、とあを連れて行ったら驚くかな。……もしかしたら怒られるかも?)
あらんの驚いた顔は、やっぱりとあとちょっと似ている。それは家族だから。
(きっととあも、このことは知らない)
やった、明日は亜蘭とも会えるんだね! と喜ぶとあを見ながら、俺はとあと同じレモンサワーを注文した。