【BACKSTAGE Story】Fragment

side Aritaka

とある日――。

大学近くのカフェで、叶亜とふたりで人を待っていた。それぞれの講義が終わってから学内で待ち合わせをし、ふたりでこのカフェに来ていたのだ。目的は、と言えば。
「依空は、まだ来そうにないね~」
「彼のことだからそのうち来ると思うけど」
ちらりとスマホを見ても、依空からの連絡はなかった。近くに着いたら連絡をする、と言っていたからまだ時間がかかるのだろう。
「もうちょっとっぽいね」
「そうだね」
「あ、そうだ」
叶亜の言葉に頷けば、彼は思い出したように足元に置いたカバンを手にする。
「今のうちにあれを片づけちゃおうかな……」
「あれ? 何かのレポート?」
俺から視線を外した叶亜は、おもむろにカバンの中に入っていたいくつかの書類を取り出した。
「そうじゃないよ。……ちょっと個人的にね。大したことじゃないから気にしないで」
「そう。分かった」
俺達は一緒にいてもこんな風に別々の事をして過ごす事が多い。コーヒーを一口飲みながら、横目で叶亜を見る。書類というよりも冊子のようなそれに書かれている文字を視線でなぞったかと思うと、どんどんめくっていく。それなりの量があるのに気軽に読んでいく様は、まるでファッション誌を手に取ったかのようにも見えた。
(何を見ているんだろう……)
俺と叶亜は、同じ大学なのだ。少しは知った書籍や論文かも知れない。叶亜の手元を覗き込んでいると、視線に気づいた叶亜が「どうしたの、有貴?」と困ったように笑った。
「気にしないでって言われても、ちょっと気になる、かな。それ、何?」
「……釣書」
「釣書?」
聞き馴染みのない言葉に、少し戸惑う。
「結婚相手の情報を書いた書類、みたいなものかな」
ちらりと叶亜の手元の書類に視線を投げれば、確かに整った文字で苗字に名前、住所や趣味、資格が記載されている。
「……そう。結婚するの?」
「今すぐにじゃないけど、そのうちね。そろそろフィアンセを選ばなくちゃいけないんだ」
問いへの返答をする叶亜は、自分の事なのにどこか他人事のようだ。伝聞情報をただ口にしているだけのような軽さがあり、ランチのメニューを選ぶような仕草、とまでは言わないが、それでも結婚相手を選んでいるようには思えなかった。
「叱られるのも面倒だから、早く決めてしまおうと思ってカバンに入れていたのを思い出したんだよ。依空が来るまで、まだ時間がかかりそうだし、今のうちに見ておこうと思って」
選択するのを先延ばしにしていたら、昨夜祖父に叱られたらしい。叱られるのが面倒だからと結婚相手を決める叶亜を見ていていたら、おのずと口が開いていた。
「……それでいいの?」
その時に、俺は叶亜になんて答えを期待したんだろうか。
仕方ないでしょ? と言ってと笑うのか、それでも好きになりたいでしょ? という答えか。どちらも叶亜らしい答えだと思った。
「うーん」
けれど、想像は外れる。
「恋愛や結婚に、そんなに夢見てないよ。有貴がそんなことを言うとは思わなかったな」
答えはそのどちらでもなかった。
「……」
「有貴もそう言うところは僕と同じだと思っていたんだけど、違ったのかな?」
いつものように笑ってから、叶亜は再び釣書に視線を戻す。俺は視線のやり場に少し困って、目の前のコーヒーに口を付けた。
確かに、俺だって恋愛や結婚に夢なんて見てはいない。持て余した退屈な時間や、時折襲って来る寂寥感、胸の内に潜む空洞を満たす手段にしか過ぎない。
それでも、目の前にいる叶亜は心からそんな風に思っているようには思えなかった。
……単純に、価値観が同じだとは思えなかったのだ。
「じゃあ、亜蘭も同じなの?」
叶亜は少し驚いた表情をして、釣書から視線を上げた。
それは俺がこの話題を深堀したからなのか、それとも亜蘭にも同じ価値観を抱いていると思ったからなのか。
「どういう意味?」
「亜蘭も同じように結婚相手を選ぶの? って聞けばよかったかな」
「そんなことないよ」
俺の言葉に、叶亜は静かに反論する。
「それに……亜蘭には幸せな家庭を築いて欲しい」
それは、まるで自分は幸せな家庭を築けないと言っているようなものだ。
一見すると、家の為に己を犠牲にした心優しい青年のあり方は美しくて涙を誘うけれど。
不思議と胸の内に沸き上がってきたのは、怒りにも苛立ちにも近い感情だった。もっとも、それを本人に伝えてやるつもりはなかった。
「……そうなるといいね」
俺の言葉に、叶亜は小さく頷いて、いつものように笑っていた。

* * *

それからも依空からの連絡があるまで、叶亜はぱらぱらと数冊ある釣書を雑誌のように見ていたし、俺もすることがなかったので外の雑踏をぼんやりと眺めていた。
急ぎ足のサラリーマンや、楽しそうにはしゃぐ女子高生たち、恋人に夫婦、家族連れ。
彼らは目的地に向かって通り過ぎて行く。今の俺たちは、そのどれにも当てはまらない存在だ。
ただそのことが少しだけ虚しかった。
『もう着く!』
手元に置いたスマホが唐突に震えて、依空からのメッセージを表示する。
ふと外の様子を見れば、こちらに向かってくる依空が目に入った。
依空は、カフェの窓越しに俺と叶亜を見つけると、笑いながら小走りで寄ってくる。
「叶亜、依空来たみたいだよ」
「そうみたいだね」
叶亜は手にしていた釣書をカバンの中に押し込めてチャックを閉じた。まるで、これはもう終わり、とばかりに。
(ああ、せめて――)
今からここに来る友人は幸せな家庭を築きたいと思っていて欲しい。
そんなことを思ったのだ。