【BACKSTAGE Story】the wings

Side Toa

「これでよし、と」
僕は手にしていたボイスレコーダーのスイッチを切った。
会議の議事録作成や、社外の人のインタビューなど……。社会人一年目に、上司と呼ばれる立場の人と共にボイスレコーダーを買いに行ったのは良い思い出だ。
『その子は分身だと思って扱うといいわよ』
そう言われて、その時は「そうなんですね」と頷いたものの、話半分にしか思っていなかった。けれどほぼ毎日仕事で使っていればそれなりに愛着は湧くし、なによりも……。
「とあのそれ、ボイスレコーダー?」
「うん、そうだよ。今日の様子をSeekerに届けようと思って」
こうして自分たちの軌跡や証を、このボイスレコーダーでSeekerたちに伝えることができる。そう言う意味では、確かに彼女の言う通り、分身みたいなところもあるのかもしれない。
「前からSeekerとの飲み会は何度もしてきたけど、僕たちの声も一緒に届けてみたいなって思ったんだ。それで、録音したものをCDにしてSeekerに届けたいと思ったんだけど、どうかな? みんなが嫌なら、やめるけど……」
僕たちの声をSeekerに届けたい。だけど、メンバーに嫌な思いをさせるのは本意でない。
そんな気持ちで手元のボイスレコーダーに視線を投げると、最初に返ってきたのは亜蘭の言葉だった。
「まあ悪くねえんじゃねえの」
「ほんと!?」
「本当だっての。……好きにしろ」
ふいっと顔をそむけながらも、亜蘭の返事は色よいもので。目をぱちぱちさせている新と視線が合う。
「俺もいいと思う。でもそうしたら俺たちのこと、丸裸にされちゃう?」
「そうかもね。でも面白そうだと思うよ」
有貴はくすりと笑いながら、グラスを煽る。
僕の案に反対するメンバーは一人もいなくて。じわじわと胸の内側があたたかくなっていくのを感じた。
(依空は……うん、聞かなくても分かってる)
やってみようぜ! なんて言うに決まってる。依空の目指す先はもっと高く、そして広いものだと知っているから。
寝息を立てている依空を横目で見た。
「相変わらずよく寝てんな」
「そうだね」
ここ最近、またやりたいことのためにバイトをたくさんしていた。
社会人になったからと、いくら手を貸すって言っても、いまだに「いらない」「間に合ってる」の一点張りだ。
(本当、やり方が真っすぐで不器用だよね……。あの時から、それだけは変わらない)
それでも、僕の肩を枕にして寝ていてもジョッキを手にしているのだから、さすが依空だとつい笑ってしまった。
時間を確認すれば、随分といい時間になっていて、僕が時間を確認していたのを有貴はしっかりと見ていたらしい。
「会計を済ませて、タクシーを手配してくるよ」
有貴は眠っている依空をちらりと見て、スマホを取り出した。
「ありがとう有貴。後で僕も出すよ」
「いいよ。今夜は、俺にご馳走させて。先週のお礼も兼ねて、ね」
こうなったら有貴は絶対に引かないことを僕は理解している。
だから、気が引けたけど素直にお礼を言うことにした。
「ありがとう」
「ごち」
「帰りは、とあとあらんが一緒で……」
「依空は俺が引き取る形になるのかな。新も乗って行くよね?」
「うん」
「分かった。少し待っていて」
「ん」
お会計に消えた有貴に、気持ちよさそうに眠っている依空、眠そうな新、そんな新を心配する亜蘭。
飲み会の後のおなじみの光景に、ふっと笑みが零れる。
(これが、今の僕たちの当たり前……)
最初は、当たり前じゃなかった。飲み会と言いつつも当たり障りのない寒々しい会話をして、早々に解散した時期もあった。
けれど、何度も飲み会をするうちにこれが今の僕たちの当たり前になっていって。こんな今の僕たちの当たり前を、みんなに届けられるということがただ嬉しいのだ。
「そうだ、依空を起こさないと」
「まだタクシー来るまで時間あるからギリギリまで転がしておきゃいいだろ」
「本当はギリギリまで寝かせてあげたいだけ?」
「……」
「亜蘭は本当に優しいね! かっこいいし優しいし、それに可愛いなんてさすが亜蘭だよ。亜蘭が僕の弟で、僕はいつだって感謝してるし、それにそれに」
「それに?」
「新も煽んなうるせえ!」
当たり前は、いつか当たり前じゃなくなることもある。ずっとこうしていたい、いられたら、そう願わなくはない。だけど、“ずっと”って言葉は、不確かで、曖昧だ。でも、希望になる。だから、当たり前であるうちは、この瞬間を大事にしたいと思った。

Side Aran

タクシーが来るまでは、あと十分くらいだろうか。テーブルの上に残っていた食事をつまんでいると、ふと新が口を開いた。
「すぶたができるまで、面白かった」
今日は酢豚なんて注文してねえぞ、なんて野暮なことを言うつもりはない。
「お前が言うとレシピみたいに聞こえる」
新のいう『すぶた』は俺たち――スタブルのことだ。すぶたの響きが気に入ったからか、こう呼び続けている。
『いそらは、なんですぶた作ったの?』
2時間くらい前、話の流れで新は依空にそんな問いかけをした。
新は人の深いところには触らないような奴だった。俺たちの抱える問題事には、あまり触れたがらない。まあ、その距離感が心地いいのも事実だ。
そういう奴だと思っていたが、今日の新は違った。
(気まぐれか?)
ただ気分が乗ったと言われればそれまでだ。
「今までそういうのはどうだっていいって感じだったのに急にどうしたんだよ」
「んー……」
俺の言葉に、新は少しだけ困ったような表情を浮かべていた。それは自分にも答えが分からないから、といった表情にも見える。けれど「多分」と前置きをしてから口を開いた。
「興味なかったから。知ろうともしてなかった」
「……」
恐らくそれは事実だ。
元々の性格も相まって、新はフロントマンとしてバンドを引っ張って行くようなヴォーカルでもなかった。歌えればそれでいい、と言っているくらいだ。
「でもちゃんと知った方がいいって思った」
「そう、か」
そう言いながら、新が視線を向けた先は寝息で。新はじっと依空を見つめていた。
なんでいきなりスタブルに興味を持ったんだ?
そう聞こうとしたが、俺はそっと口を閉じた。それは依空を見つめる新の瞳がゆらゆらと揺れていたからだ。
それはまるで外界から滴り落ちてきた雫が新にぶつかって、新の中で波紋を生んだように。
「あー…」
「?」
「いやなんでもねえ」
「んー」
きっと本人にも明確な理由は分からないだろう。
今回のシングルは、俺と依空が率先して動いていた。俺も真剣ではあったが、俺から見ても依空はことさら真剣で……そして必死だった。そんな依空が作ってきた曲は、あまりに依空らしくないくせに、依空らしいもの。
(もしかしたら……)
その曲が、そして想いが――新の心に変化をもたらしたのかもしれない。
そんなことを考えている横では、相変わらず寝息が響いていて。
(……アホ面)
依空は気持ちよさそうにゆるゆるな表情を浮かべて眠っていた。