【BACKSTAGE Story】Whiteday Gift

Side Aritaka

「ありたか、きちゃった」
ともすれば語尾にハートマークすらつきそうな言葉に、有貴は息を吐いた。新のそんな言葉と共にインターフォンが鳴ったのは三月十四日の午後のことだった。
「……とりあえず上がっておいで」
インターフォン隣のエントランス開閉ボタンを押せば、画面に映った新の表情が見えなくなる。
合い鍵を渡しているのだから、何も言わずに上がってくれば良いものを。毎回毎回、新は律儀にインターフォンを押す。それは遠慮、というよりは配慮のそれに近い香りがした。
きっと数十秒もすれば、家のインターフォンが鳴るだろう。
新もああ見えてなかなか忙しい身だ。特に年度末のこの時期は。
だから、まさか新が来るとは思ってもいなかったのだ。先ほどまで作業をしていたPCの画面の電源を落とす。ここからしばらくは不要になるに違いない、と踏んだからだ。
(……?)
けれど、インターフォンはなかなか鳴らない。エントランス部分でエレベーターが捕まらなかったにしても、なかなか時間がかかっているように思う。一体どうしたんだろう。
そんな風に思っていると、ようやく家のインターフォンが鳴る。
玄関のカギを開きに行くと、そこにいたのは予想外の新の姿だった。
それは何? と聞くか、それとも有無を言わさずに家の中に引き入れるか。
有貴が選択したのは、後者だった。事情を聞くのならば、家の中に入ってでもできる。
新の腕をとって玄関の中に仕舞い込む。そして、鍵をかけた。
「……ありたか、もう少し驚くかと思った」
「十分驚いてるよ」
なにせ、首元にリボンを付けているのだ。新の黒髪によく似あう、赤色のリボン。
前々から新を気紛れな猫のようだ、と思うことがあったけれど、今日のそれはまるで首輪のようにも見える。
「ここに来るのに時間がかかったのは、その準備をしていたから?」
「あ、ばれた」
「似合っていると思うけどね」
「ん、それなら良かった」
新は満足そうに笑った。
靴を脱いで、当たり前のように部屋に上がり込む新の後ろ姿を見て、ふと笑みが漏れた。
本当に、野良猫を拾って懐いたように見えたからだ。手を洗って、リビングのソファーに身体を預ける。俺はその隣に座って、ほう、と息を吐いた。
「ねえありたか。今日、何の日か覚えてる?」
「……何だったかな?」
「ありたか、いじわる」
「……覚えてるよ。ホワイトデー、でしょ」
「そう。だから、お返しにきた。お返しは、俺」
「……」
想像していなかった、と言えば嘘になる。義理堅い新のことだから、きっと何かしらの用意はしているだろうとは思っていたけれど――それでもこの言葉は予想外だ。
「それ、どういう意味か分かってる?」
YESでもNOでもない問いかけをすれば、新は首を傾げる。
「ありたかは、お返しいらない?」
「それ、俺がなんていうか分かって言ってるでしょう?」
新は悪戯が成功した子のような顔をして笑っていた。
「今日は一日、俺がありたかの面倒見てあげる」
「ありがとう。じゃあ、さっそく掃除をしてもらおうかな」
冗談めかして言うと、新は困った顔をして「がんばる」と言うものだから、俺は思わず笑ってしまった。
俺が新の面倒を見るのには、明確な理由がある。自由気ままで目を離せばすぐにいなくなってしまいそうなヴォーカルを繋ぎ止めておくには、鎖が必要で、その鎖になる事を依空に望まれたのだ。
その要求を受け入れてしまったのは、あの手のせい。
新が思惑に気づいているのかはわからないけど、気まぐれな猫は俺に少しずつ気を許し、冗談だというのに慣れない掃除をしようとキョロキョロ部屋の中を見回している。
きっと何から手をつけたらいいのかわからないのだろう。
「さっきのは冗談だよ。掃除はいいからそこに座って」
もう一度ソファに座らせると、新が好きな飲み物を用意しに行く。
「俺がやる」と言う新を制して「俺の面倒を見てくれる新の面倒を見ることにしたんだ。だから、ね?」と、微笑みかけると猫は「わかった」と嬉しそうに笑った。

何でもできた。誰かの理想に寄り添うことも、誰かの願いを叶えることも、誰かの求めに応じることも。だからこそ、俺には何もなかった。その何かが、ここで見つかるのかな。
そんなことを思いながら、俺は眠そうにあくびをする猫を見ながら、彼のお気に入りのカップに手を伸ばした。