【BACKSTAGE Story】さよならエチュードVol.01

Side Aritaka

新を回収してからスタジオに向かえば、そこには既に依空と亜蘭がいた。時刻は、予定よりも小一時間が過ぎていた。
「遅れてごめんね」
「別に今日ばっかりはいいだろ。そもそも依空がスタジオ取り損ねたのがわりいんだし」
「いやー悪かったって」
スタジオに集まったのは4人。今日はこの人数がフルメンバーだ。少なくとも今は。
なんでも亜蘭からの情報によれば、叶亜は4月2日に入社式を控えているという。
今日は会食だったが、今までにも何度か顔を合わせているので形式的なものだ。会食はどんなに早く終わっても21時過ぎ。
『31日待ってるからなー!!!!』
依空がSNSでそう言ったのは数日前のことだったが、今となってはもう随分と前のことのように思える。待っているから、それまでは練習をしておこうと決めてのスタジオ入りだった。
「でもまあ知り合いのとこ借りれたし、結果オーライってことで」
「お前なあ……」
ギターの調整をしながら亜蘭は呆れている。
今まで、スタジオの手配は叶亜がしていたのだ。それを今回は依空が行ったため、手違いで予約を取り損ねてしまっていた。
「悪い悪い」
困ったように笑う依空の表情は、どことなくいつもとは違うように見えた。

カバンの中からスコアを取り出していると、依空が話しかけてくる。
「なあ」
「何?」
「叶亜、来ると思うか?」
どう答えたものかと少し悩んで、俺は首を振る。言葉にしなかったのは、口に出してしまえばそれが決定的な事実になってしまうような気がしたからだ。
「俺もそう思う。多分、来ると思ってるのは新だけじゃないか?」
依空は苦笑しながらも、ドラムの元に歩いていく。
SNSも、そしてSeekerからの言葉も使って悪あがきはしてみたけれど、実際のところ最初から期待はしていなかった。それは大学で知り合ってから彼を一番近くで見て来たからこそ、確信している事だ。

その人を形作るものはなんだろう。
記憶? 経験?
俺に言わせれば、それは「捨てられないもの」だ。
捨てられないものがその人を形作っていて、彼の場合は、自分を捨てられたとしても家は捨てられない。家が、彼を形作っているのだ。
(できることなら、スタブルがその「捨てられないもの」の中にあれば良い)
そんな風に思ったのは、ごくごく自然な流れだった。
だけど、どうしてそう思ったんだろう。今まで一度だってそんなことを思ったことがなかった。何も守らない代わりに、何も持たないと決めた。
(それなのに、どうして今こうして悪あがきをしている?)
己に問いかけてみても、答えらしいものは浮かんでこない。それでも、彼と出会ったのは、春の穏やかな日であったことは覚えていた。
ただそこにいたから言葉を交わした。俺と彼の始まりはそれだ。
それ以上でもそれ以下でもない距離感で、これからだってそれは変わらないはずだった。
「あの、色葉君……?」
「もしかして道に迷ったの?」
「ねえ、一緒に行こうよ」
「有貴」
彼は俺に言葉を投げかけ続け、気付けば4年も経っていた。そしてその中で、彼を通して依空や亜蘭、新にも出会った。
4月からはお互い別の道を行く。一度言葉を交わしたけれど、知り合う前のようにまた他人に戻るだけ。彼の生い立ちを考えれば、この別れは予定調和に過ぎないのだ。

俺らしくもなく考え込んでいると、新の顔が見えて我に返る。
「ありたか?」
「何でもないよ」
「……大丈夫」
俺が落ち込んでいるようにでも見えたのか、新は俺の頭をぽんぽんと撫でた。
思えば、新はいつもこうだ。寄り添い、いつの間にか癒してくれる。
(だけど)
そうやって誰かの悲しみや苦しみを全部自分の中に受け入れて、受け入れ続けて、いつか溢れてしまわないだろうか。少し心配になる。
「俺は平気だよ。ねえ新、歌ってくれる?」
そう問いかければ、新は嬉しそうに笑って頷いてくれた。

彼の声を通して、俺の言葉が歌になる。この歌は、ちゃんと届いてくれるだろうか。
……頑なで、自分の幸せに疎い彼に、ちゃんと届いてくれるかな。届いてくれるといいな。


Side Toa

両親と祖父、そして会社の役員たちとの会食が終わり、ホテルのレストランを出る。針は22時半過ぎを指していた。
ホテルの前で、役員たちに見送られて両親と共にタクシーに乗ろうとする。その瞬間、不思議と足が動いてくれなくなった。それはまるで、後ろから誰かに掴まれているようだ。
その場から動かない僕を、役員の人たちが不思議そうな顔をして見ている。隣にいた母親の顔には呆れの色が混じったのが分かった。

顔を出してしまったことでバンド活動をしていることが明るみになり、両親と話し合いの場を設けたことがある。
お嬢様育ちの母には「立場を考えなさい」と散々叱られたのも記憶に新しい。それでも唯一の救いだったのは、父に理解を示してもらえたことだろうか。婿養子として入って来た父もまたギターをこよなく愛していたから、何か思うところがあったのかも知れない。
結局その話し合いでは、父の説得もあり3月いっぱいまでならと許しを得たのだった。
けれどその3月も、間もなく終わる。あと1時間弱で――。
「……叶亜?」
動かない僕に、母が話しかける。なんでもない、と返そうとしたけれどその言葉は声にはならなかった。母の眼差しに亜蘭の影が重なって、それからメンバーの顔を浮かんできたからだ。
『待っている』と言ってくれた彼らのことを思い出すと、このまま家に帰ってしまって良いのか分からなくなる。僕は本当にこれでよかったんだろうか?
「……」
帰らなくちゃいけないのに咄嗟にここから動けなくなってしまうのは、ここを動いてしまったら、もう向かう先が家しかなくなってしまうから。
そんな時、背中をぽんと押される。驚いて顔を上げると、背中を押したのは父だったことが分かった。
「父さん?」
「用事を頼んでいるので、叶亜はここで失礼します」
「……?」
けれど、頼まれた用事なんてなにも思い当たらない。少し戸惑っていると、父はこっそり耳打ちした。
「母さんのことは任せなさい。けじめをつけておいで」
「う、うん」
父さんにはお見通しだったのかも知れない。僕は父さんに背を押されるままタクシーに乗り込み、その場を後にしてしまった。

ここからスタジオまで、タクシーでどんなに急いでも30分はかかる。スタジオに着くころには23時を過ぎてしまうだろう。そんな時間まで、待っていてくれるか分からない。
それでも、僕は運転手にスタジオの場所を告げた。
きっと、これが今まで生きてきた中で一番長い30分だ。無意識のうちに指を組んでいて、それは祈りにも似ているなと思った。
ふと窓の外を見れば、空には大きな月が存在していた。
(そういえば……今夜はブルームーンだって言ってたっけ)
もう、気持ちは決まっていた。ここに来るまでに、何度も何度も考えてきたことだった。

誰もが知る名だたる総合楽器メーカーSUZUNE。代表取締役会長である祖父の一人娘が母親。そしてその長男として、僕は生を受けた。だから、幼い頃から跡を継ぐことを求められてきた。
会社が成長していくにつれて社員が増え、守らなければいけないものも増えてきた。社員には家族がいて、生活がある。経営者はこのことを常に自覚して、弱さや甘えを捨て、人の上に立つことを意識して振る舞う。そのためには、手段は選ばない。それこそが、守るために必要なこと。
厳格な祖父に叩き込まれた教えだ。

もし僕が逃げだしたらどうなるだろう。そうしたら、次は亜蘭が背負うことになってしまう。
大丈夫、ちゃんと分かってるよ。分かってるんだ。
今まではそれでいいと思っていたし、そうするべきだとも思っていた。
(だけど――)
少しだけ、夢を見たくなってしまったんだ。


Side Arata

随分と夢中になって歌っていたらしい。ありたかに呼ばれていることに気付かなかったのだ。時刻は22時を回っている。
「ありたか?」
「もうずっと歌い続けているよ」
「んー」
沢山歌っているせいか、少し眠気を感じる。それでも、眠気よりも強く俺を動かしているのは、早くとあに会いたいという感情だった。
とあは必ず来る。けれど、あらんといそらの表情は曇ったままだった。
「やっぱあいつ、来ないかもなー……。悪いな、付き合わせて」
いそらはドラムを片付けようとしていたけれど、背中はまだ諦められないと訴えていた。
「いそら」
「ん? 新どうした?」
「とあは、来るよ」
その言葉を聞いたいそらの瞳が少しだけ揺れた。
「……どうして分かる?」
「あいつは臆病なバカ鹿だ。ここに来る度胸なんてない」
あらんは鋭い言葉を投げかけるけど、気持ちはそれとは裏腹だ。本当は来るって信じているのだ。

『どうして分かる』といそらは言ったけど、俺には分かるよ。分かる理由が俺と同じだから、とは言ってあげないけど。
とあが抱えているものは、大きくて重い。これからもどんどん重くなっていくそれを、一人で抱えようとしている。そうしないとあらんにその重さを分けないといけなくなるから。だからとあは一人で抱えて、一人で何とかしようとしている。
でも、とあ。
例え重くても、それでも一緒に荷物を持ちたいって言ってくれる人が隣で待ってるよ。
「新、口開けて」
「ん」
ありたかに言われるがままに口を開けると、次の瞬間口の中でふわりと甘い味が広がる。俺が好きなのど飴の味だった。
「あ、苺」
「叶亜が来た時に、思いきり歌えるように魔法、かけてみたよ」
柔らかく微笑むありたかの瞳には、今までにはない色が浮かんでいた。ただそのことが少しだけ嬉しい。
ありたかは見つけたのかな。守りたいと思うものを。もしそうなら、俺も大切にしたいし、守りたいって思うよ。
「ありたか、ありがと」
お礼を言うと、ありたかは不安を隠すように綺麗に微笑んだ。何かを持つこと、それから守ること。せっかく見つけたその気持ちがあるのなら、怖がらなくてもいいのにね。怖くてもいいから少しずつ、守れたらいい。だって時間はゆっくり流れていくんだから。

いそらやあらんのため息でスタジオがいっぱいになりそうになった時、ドアがゆっくりと開いた。
「お、遅くなってごめん!」
とあは肩で息をしていて、ほんのり頬が赤い。それはお酒を飲んできたからなのか、走って来たからなのかは分からなかった。だけど、どっちでもいい。
とあがここに来てくれたことだけが『本当』。
みんなは演奏の準備を始めたけれど、それもすぐ終わる。だって、今日はこの一曲の為に、心も身体もあっためてきたんだから。
振り返ればみんなの顔は自信に満ちていて、俺もそれにつられて口角が上がっていくのが分かった。みんなは頷いて、歌っていいよと視線で促してくれた。不安そうなのは、目の前にいるとあだけ。
俺が短く息を吸ったのを合図に、スタジオの中に音が溢れ出した。

「また会おうね」なんて、しらじらしいんだよ
どうせもう会うこともないんだから
そんなこと言われたら
ずっとずっと心が残っちゃうじゃないか

ありたかが紡いだ言葉を歌っていく。いそらの想いを、あらんの想いを、とあに伝えるために。
大切な人に大切だって伝えるのは難しいね。本当に大切にしたい人にこそ、伝えたいことは上手に伝わってくれない。
言葉は嘘で飾れて簡単に偽れてしまうけど、行動の陰にはいつだって『本当』が見え隠れしている。だからかも知れない。目の前にいるとあは、肩を震わせてぼろぼろと涙をこぼしていた。
本当は一緒にバンドを続けたいんだよね。大事なあらんの傍にいたいんだよね。ありたかもいそらも大切で、出会って間もない俺のことも大切に想ってくれてる。
でも……。
『大切』や『好き』だけじゃ、ダメなんだよね。傍にいるのは簡単なことじゃないんだよね。
それも分かってるから。
だから、とあがこの歌を聴いて、前に進めるようになれるといいな。


Side Toa

目の前の演奏に、ただただ涙が止まらなかった。
攻撃的なドラムの音も、力強いベースの音も、荒々しいギターの音も、言葉をぶつけるような歌声、そして歌詞に込められた意味も。
その全部が愛おしくて、大切で。だからこそ、今の僕には受け止めきることが出来なかった。
本当はまだここにいたいよ。
本当はここで音楽を続けたいよ。
だけど、それはこれからの僕にはできないんだ。

5分にも満たない演奏が終わり、みんなの視線が僕に向けられてる。僕の答えを待っていることが分かった。
涙を拭って、僕はみんなの顔を見る。
前を向いて、自分のやりたいことをやって。そして今の場所を手に入れて来た人たちの強い表情だ。
それに比べて僕はどうだろう。なにもかもが中途半端で、何一つとしてうまくできてないじゃないか。みんながいるここは、こんな僕がいていい場所じゃない。
それは分かってるのに、それでも僕はまだひとつを決め切れずにいる。
(みんな、ごめんね)
答えを伝えるために、僕は口を開いた。
「みんな――」