【BACKSTAGE Story】early summer

「ありたか、だいじょうぶ?」
 俺は冷蔵庫の中から、水の入ったペットボトルを、ベッドで丸くなっているありたかに差し出す。
「ありがとう……。ごめん、せっかく来てくれたのに……何もできなくて」
「気にしないで。俺が来たくて来たかっただけだから」
 ありたかが青い顔を上げ申し訳なさそうに呟くのを、俺は首を横に振って否定した。
 俺が社会人になってからも、ありたかとは定期的にメッセージアプリで連絡を取り合っている。だけど、急に暑くなった六月のはじめ頃からありたかの連絡が不意に途切れた。心配になって、仕事が休みの土曜にありたかの家に行ってみれば、クーラーの聞いた部屋の中、今のようにベッドの上から動けなくなっているありたかの姿があった。話を聞くと、いわゆる夏バテというものらしい。ありたかは暑いのが苦手だから、ここ最近の気温にやられたのだろう。
「外で水と、あと何か食べるもの買ってくる。食べられそうなものある?」
 いつもなら、ありたかの家の冷蔵庫はいつだっていろんなものが入っている。だけど、夏バテになってからほとんど補充していないらしく、さっき開けたら冷蔵庫の中身はほとんど空っぽだった。
「正直、あんまり食欲ないから……新が必要なものだけ買ってきて」
「だめ。夏バテでもちゃんと食べなきゃ。今のありたかでも食べられそうなもの、探してくる」
 俺が少し強い口調でそう返せば、ありたかはまた申し訳なさそうに「ごめん」とだけ返した。ありたかはいつも人前では恰好をつけて弱いところを見せたがらないから、せめてこういうときくらいは素直に甘えてほしいのに。俺は小さくため息をついたあと、ありたかの部屋の扉を静かに閉めた。

* * *

 財布とスマホだけを持って、マンションの外へ出れば日中の鋭い日差しが俺を出迎えてくれる。その眩しさに目を細めながら、確かにこの天気はありたかの身体には毒だと実感する。
(コンビニ、でもいいけど。できればしっかりしたものを食べてほしいから)
 そう思い立った俺は、マンションの近くにあるコンビニではなく、少し離れたスーパーの方へ足を向けた。
 俺がスーパーに足を踏み入れると、クーラーのきいた店内には聞き慣れた明るい音楽が絶えず流れている。
「……何がいいかな」
 そんなことを呟きながら、俺はぼんやりと店内の棚に目を向ける。夏バテのありたかでも食べられそうなものといえば、なんだろう。熱いものではなく、さっぱりしていて、食べやすいものといえば冷たい麺だろうか。だけど、そうめんや冷やしうどんだとあまり栄養が取れさそうだし。そんなことを延々と考えながら、棚を物色していると俺の目にとあるパッケージが飛び込んでくる。
「冷やし中華」
 俺は涼しげなパッケージを手に取り、そこに書かれていたその文字を何気なく読み上げる。印刷された写真には細く切った卵焼きや、きゅうり、ハム、トマトなどが載せられており見た目も華やかでおいしそうだ。裏面の作り方を見ると、麺を茹でたり、具材を刻んだりといった手間はあるものの自分でも作れそうだ。栄養も取れそうだし、これにしよう。俺は手に取ったパッケージをそのままかごの中に入れた。

 冷やし中華に必要な具材もかごの中に入れそろそろレジへ向かおうとしたとき、ふととある考えが俺の中に浮かぶ。
(デザートがあったほうが、ありたかも喜ぶかも)
 だけど、普通にアイスやゼリーというのも少し味気ない気がする。ありたかを笑顔にできるような、ちょっと変わったものがいい。そう考えながら、俺が足を向けたのはお菓子コーナーだった。チョコレートやスナック菓子といった定番のものが並ぶ中、あまり見慣れない変わったものがあることに気が付いた。
「これ、たしか」
 その中の一つを手に取ってまじまじと見ているちに、ぼんやりといそらととあの顔が浮かんでくる。そうだ、確か、前に二人が言っていたやつもこんな感じのだった。そこまで思い出して、俺の中の好奇心がむくむくと膨れていくのを感じる。
「デザートはこれに決定」
 俺はありたかと自分の分で、ふたつ選んんでかごの中に入れる。そして、今度こそレジの方へと向かった。

* * *

「ありたか、ただいま」
 俺が寝室のドアを開けると、ありたかは行く前とほぼ変わらない体制で寝転がっていた。だけど、俺の声に反応してのろのろと顔をあげる。
「……おかえり、新。本当に、ごめんね」
「ありたか、今日は謝りすぎだからここからは謝るの禁止。ごはん、これから作るから待ってて」
「なに、買ってきたの?」
「冷やし中華。いろいろ具材が載ってるし、冷たいものだからありたかでも食べられるかなって。食べきれなかったら、残りは俺が食べる」
「……わかった、ありがとう新」
 やっぱり、ありたかは元気がない。そのありたかの姿は、一時期、心も体も無理をしすぎて倒れてしまったありたかの姿を思い出して、どこか胸が痛くなってしまう。少しでも、元気を出してほしい。そう思った俺は、スーパーで買ってきた例のものを袋から取り出した。
「……それは?」
「今日のデザート。冷やし中華食べたら、一緒に作ろう」
 俺はそういって、ベッドのサイドテーブルに買ってきたそれを並べる。それは、いわゆる知育菓子と呼ばれるものだ。夏祭りの食べ物ぽいっものを作れるものと、色鮮やかなケーキっぽいものが作れるもの。
「前に、依空と叶亜が似たようなの作ってたね」
「そう。あれ見て、俺もやりたいって思ってたから買ってきちゃった。ありたかは、つくったことある?」
「ううん。俺も、初めて作るよ」
 そう言いながら、ありたかは体を起こして知育菓子のパッケージを手に取る。それを興味深そうに眺めるありたかの瞳にはきらきらしていた。
「じゃあ、俺とありたかははじめて仲間だね」
「そうだね。どうやってつくるのかすら見当がつかないから……作るのが楽しみだな」
「うん、楽しみ」
 ようやく微笑んでくれたありたかを見て、俺はほっと胸をなでおろす。やっぱり、ありたかは笑っていた方が綺麗だ。