ワタシの名前は『カンナ』
神流夕月っていう、お酒が大好きなだらしない大人に飼われている元・野
良猫。
ずっとトウキョウで暮らしていたけど、今は夕月の実家がある星波島って
いう島に住んでいる。いつも夕月はワタシを家に閉じ込めるけど、狭いの
は耐えられない!
だから今日も前足で窓を開け、広い庭に下りると海に向かって歩いて行く。
長い尻尾をピンと垂直に立てて、ヒゲを揺らしながら坂道を下っていく。
もっと風を感じようと塀を伝って歩いていると、目の前にふわふわの女の
子が現れた。
「やっぱりカンナだー。お散歩してるの?」
彼女は、夕月の大事な幼なじみのひとりだ。
いつもニコニコ、太陽みたいに眩しい笑顔を浮かべている。今も、ワタシ
に向かって手を振りながら、笑いかけていた。
「私もお散歩してたんだー。あ、カンナも一緒にお出かけする?」
返事の代わりに塀から下りて横に並ぶ。それだけで彼女には伝わったみた
いで、「行こう」と微笑んで歩き出した。
しばらく行くと、海岸近くにあるお店から、小さな袋を手にした昴が出て
きた。
(食べ物?)
昴の元へ駆け寄って、足に身体を擦り寄せながら甘い声で鳴く。でも昴は
「ごめんな」と謝るだけで、何もくれない。
「何買ったの?」
「雑誌」
「あーいつものゲーム雑誌でしょ。ホント昴はゲーム好きだよね」
その声は呆れているというより、優しい音をしていた。
そんなふたりを見つめていると、ふとお腹にあたたかな感触が。なんだろ
うと思う間もなく、視線が高くなってふたりの顔がすぐ前にやってきた。
「カンナ、また抜け出したんだね。めっ! だよ?」
夕月はワタシを叱っているのに、顔は全然怖くない。だからワタシは夕月
の顔を舐めて「ごめんね」と伝える。
「もう~そんな風に甘えてもダメだよ。本当、仕方のない子だね」
言葉と違って、顔は怖くない。むしろ嬉しそう。
よかった、と安堵してもう一度鳴いた。そんなワタシの顔を、ひょい、と
覗き込むのは昴でも彼女でもなくて、もうひとりの幼なじみ、波智だ。
「なんだよ、カンナもうちのまめと同じで、脱走癖あんのか?」
波智は子どもみたいな笑顔を、こちらに近付ける。
「悪い子だなー」
他の子よりも高い鼻梁が綺麗で、ついつい惹かれてしまう。顔を突き出し
て、波智の鼻先に、ちょん、と自分の鼻で触れる。波智はびっくりしたみ
たい。目を丸くしていた。
パシャリ
突然聞こえた音にびっくりして、尻尾をバタバタと振る。そんなワタシに
はお構いなしに、写真を取った張本人――理音は、得意満面な顔で手にし
ていたスマホを振った。
「ガキ大将にしては、いい表情してくれたじゃん。ありがとねぇ~」
ニヤニヤ笑う理音を前に、波智は憮然とした顔。
でも彼女はその写真が見たいらしくって「どんな写真?」と駆け寄ってい
る。どうやら理音は機嫌がいいみたいで、自分のスマホを傾けてあげてい
る。
そんなふたりを見て、波智はますます不機嫌そう。
「わぁ~! かわいい~!」
「でしょ~。オレってばすごくない? ねえ、星真!」
振り返った理音の視線の先にいたのは、フードを目深にかぶった星真だ
った。全身から「めんどくさい」のオーラを出している。それでも写真の
ことだからか、不貞腐れた顔だけどスマホを受け取った。
「……まあまあ」
「はあ? どこがダメなわけ?」
「彩度上げすぎ。全体的に白すぎる」
「ブー!」
「……嫌なら教えない」
「嫌とか言ってないじゃん! で、どうすればいいわけ?」
「理音君だけ教えてもらってずるいよ。私にも教えて?」
「俺も俺も!」
彼女と波智まで手を上げたので、星真の眉間に深い皺が刻まれた。なのに、それを見ていた夕月の口元に、笑みが浮かんだ。
「じゃあ、今から課外活動ってことにしよっか」
「やだ」
「って星真は言ってるけど、どうかな? 写真部部長さん」
「そりゃあ、もちろん……アリだろ」
部長である昴にまでそう言われたら、星真には断れないみたい。
急遽、海岸で写真部の課外活動が始まった。
星真以外はカメラを持ってきていなかったから、みんなスマホを構えてい
る。星真はめんどくさそうだったけど、頼まれたらちゃんと教えてあげて
いた。
そうして波智は海を、理音は空を、昴はあくびをしている夕月を撮って、時に笑ったり時に難しい顔をしていた。
階段でそれを見つめていると、休憩にきた彼女が横にやってきた。
「ねえ、カンナ。みんな楽しそうだよね。出来ればこれからも、ずーっと
みんなとこんな風に笑って過ごせたらいいのにな」
目を細める彼女は、ワタシからはなんだか泣いているようにも見えた。そ
れが気になって、膝にひょい、と乗って顔を覗き込む。すると彼女は柔ら
かな微笑みを浮かべてワタシを撫でた。
「カンナもいっしょなんだね。うれしいな」
そういう意味じゃなかったんだけど……まあ、彼女が笑ってるなら良かっ
た。
ワタシは一鳴きして、彼女の膝の上で丸まって眠ることにした。すると彼
女の小さくて柔らかな手が、ワタシの背中を撫でる。
その感触が気持ちよくて、大きな口を開けてあくびをひとつ。
ヒゲを揺らす潮風を浴びながらうとうとしていると、頭上から小さな寝息
が聞こえてきた。
「あ……寝てる」
「徹夜でもしたのかな?」
「あいつ徹夜できねーし、それはないだろ」
「日差しがあったかいからじゃない? オレも……ふわあ~、ちょっとね
む~い」
「あはは、僕もだよ~。でもあんなトコで寝たら風邪ひくし、起こしてあ
げなきゃ」
夕月を先頭に、ゾロゾロやってくる5人。
そんな彼らを片目でチラリ。
今は彼女を起こさないであげて。せっかく気持ちよく眠ってるんだから、
もう少しだけ、このままで。
「にゃあ」
5人は顔を見合わせると、優しい顔して「OK」って頷いてくれた。
テキスト:浅生柚子( @asaiyuz5 )