【Prologue Story05】regret

「行ってきます」

トットットッ……という船のエンジン音に混じって、俺の声がフェリー乗り場に響いた。
できるだけ刺激しないよう、俺の中でも一番の笑顔を向けたけど、年下の幼なじみたちは今にも泣きそうな顔を俺に向けていた。いつもは落ち着いている昴さえ、眉根を寄せて顔を歪めている。感情がストレートに出る波智に至っては、少しでも刺激したら涙がこぼれそうだ。本人もそれをわかっているみたいで、何度も目尻を擦っている。
(……あーあ、ちょっと赤くなってるよ)
見送りに行くって言われた時から、なんとなくわかってはいたけど、まさかここまで寂しそうな顔をされるなんて思わなかった。
「……」
どうしようか、と悩んでいると、3人の中で唯一の女の子である彼女が、俺の名前を呼んだ。
「あっちに行っても……私たちのこと、忘れないでね!」
声が裏返っている。大きな瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうだ。なのに彼女は小さな手をぎゅっと握って、必死に耐えている。
小さい時からそうだ。いつもはのんきで、ちょっと抜けているところもあるのに、時々鋭いことを口にする。そしてその言葉には嘘偽りがないので、必ず相手の胸にストレートに届くんだ。
本人は無意識みたいで、ただ思ったままを喋っているみたいだけど。
「離れても、かんちゃんは、この島の子なんだから……忘れちゃ、ダメなんだから!」
堪えていた涙が、潮風に吹かれて零れ落ちて、青い空に溶けた。

その光景があまりにも美しくて見惚れていると、彼女が俺の手をそっと握った。それが合図になったみたいで、昴と波智も俺の腕にぎゅっとくっついてくる。
(……もうすぐ船が出るっていうのに、困ったな。これじゃあ身動きできないよ。でも……)

――嫌、じゃない。

ふっと口元が緩むのを感じながら、俺はするりと腕を抜いて、幼なじみたちの頭を交互に撫でた。グシャグシャになった髪のまま、3人はびっくりした顔で俺を見上げる。そんな彼らに笑みを向け、少しだけ腰を屈めた。
「すぐに帰ってくるよ」
「すぐっていつだよ!」
拗ねたような波智の声が、響き渡る。
「うーん、大学をストレートに卒業すれば……4年かな」
「それはちょっとって言わないだろ」
いつもの調子を取り戻した昴が、冷静に突っ込む。
「はははっ! 確かにそうだね」
「本当に、帰ってくる?」
俺の顔を覗き込みながら彼女が、いつもの甘えた声で尋ねてきた。
「絶対帰ってくるよ。だから、それまで待っててくれる?」
彼女が頷くと、俺はほっと息を吐き出した。親指で溢れる涙を拭ってあげてから、小指を差し向ける。
「じゃあ、約束しよっか」
「うんっ」
小さな手がこちらへ伸び、柔らかな指が俺の小指にスルリと絡まった。その感触がくすぐったくて、心が弾む。
「必ずまたこの島へ帰ってくる。約束だよ」
その言葉は、桜の花びらみたいな愛らしい笑顔を呼んだ。

そして俺は汽笛を合図にフェリーへ乗り込み、18年間暮らしていた星波島に別れを告げた。

* * *

「あれから7年、か」
すっかり寂れた本島のフェリーの待合室にあるベンチに座って、ぽつりとこぼす。
きっとあの子たちは、怒っているんだろうな。いや、7年も経っているんだし、僕のことなんて忘れているかもしれない。
「にゃあ」
キャリーケースに入れていたカンナが、不服そうな声を漏らす。
「もう少しだから……、ごめんね」
「にゃあ」
「後で海を見せてあげるから。ね」
納得したのか、拗ねたのか、カンナはもう一度鳴いてから顔をそむけるように目を閉じてしまった。
島を出る時はひとりだったのに、戻る時はひとりじゃない。
だけど、代わりに、島を出る時は確かに持ってたはずの笑顔を、置いてきてしまった。

指先が震える。心が凍る。
大切にしたいと思ったものは全部、手のひらからこぼれ落ちて――

消えてしまった。

「星波島行きのフェリーへご乗船のお客様へ、ご案内申し上げます。間もなく乗船開始となりますので、桟橋へお越しください。チケットは乗船の際に回収致しますので、必ず手にお持ちください。繰り返します――」
僕の後悔をかき消すようなアナウンスで、我に返る。
「……行くか」
カンナを入れたキャリーケースと、ボストンバッグを手に立ち上がる。
その時、僕の横を年若い男の子が足早に通り過ぎていった。
(……島に残してきたあの子たちと、同じ歳くらいかな?)
どうでもいいことをぼんやり考えながら、僕は一歩、決意と覚悟を胸に歩き出した。

思い出という美しい花を、踏み潰すように――……。

テキスト:浅生柚子( @asaiyuz5