【Spring Story02】cherryblossom

1月も終わりに近付いたその日、私たち南海高等学校写真部は、朝から星波島のフェリー乗り場に集まっていた。と言ってもまだ全員じゃなくて、顧問がまだ来ていないけど。
「本土の桜祭り見に行くの、久しぶりだよなー! 何食おっかな~。焼きそばだろ、イカ焼きだろ、トウモロコシだろ~」
まだ会場に着く前からこんな調子で、波智はいつも以上にテンションが高い。持ってきたジュース入りのビニール袋をブンブン振り回して喋っている。
そう、今日は部のみんなで本土の桜を見に行くことになっていた。もちろんただ遊ぶためじゃなくて、部活動の一環として。
「屋台なんて高いだけで、あんまり美味しくないじゃん」
そんな波智にツッコミながら、理音くんは持ってきたカメラを構えたりして何度もフェリーを見ている。あんなこと言ってるけど、早く行きたいのかも。
「波智、今日は弁当持ってきてるから屋台のやつあんまり食べるなよ?」
注意する昴は朝から私と人数分のお弁当を作っていたから、少しお疲れ様気味。私も、桜は楽しみなんだけど早起きだったから少し眠い。軽くあくびをして目を擦ろうとすると、昴に止められてしまった。
「あんまり擦り過ぎるなよ」
「はぁ~い」
相変わらずお父さんみたいだな。そこが昴のいいところなんだけど。
なら別のことで目を覚まそうと、座り込んで何かやっている星真くんのところへ向かった。
「何してるの?」
「……機材チェック。桜の写真の時は、プラス補正しとかないと」
覗いてみると、何度か教えてもらったことのある数字のところを調整していた。桜は薄い色だから、プラス側にしておかないと暗くなっちゃうんだとか。
さすが元写真家。感心していると、波の音に混じって足音が聞こえてきた。慌てて振り返ると――
「ふわぁ~……ごめんねぇ。昨日、タケさんたちに誘われちゃってさ。朝4時まで飲んじゃったよ」
悪気のなさそうな顔で、写真部の顧問で私の幼なじみである、『かんちゃん』こと神流夕月先生がやってきた。
みんなの文句が飛んでくるけど、かんちゃんはどこ吹く風。「ごめんね」と気持ちのこもってない謝罪を口にしながら、一番最初にフェリーへ乗り込んだ。そして、クルリと振り返って……。
「さあ、写真部の校外活動に行こっか」

* * *

本土の一番北側に位置する地域では、毎年少し肌寒いこの時期に桜が咲く。みんなそれを毎年楽しみにしてるから……。
「人多すぎ……」
本土の人だけじゃなくて、私たちみたいに島から来る人も来るから大賑わい。しかも最近「日本で一番早く桜が咲く場所」ってテレビで紹介されたみたいで、九州や東京からも見に来る人がいるみたい。おかげで、年々来場者数が増えているんだとか。歩くのも一苦労だから、星真くんがうんざりするのも頷ける。
でも今日は部活動なんだから! と、私が一歩前に出るのとは対照で、星真くんは後ろへ一歩下がってしまった。
「帰る」
「来たばかりだからダーメ」
逃さないとでも言うみたいに、昴が星真くんの背中を支える。
「人の少ないところがあるから、そこまでは我慢しようね~」
「……」
かんちゃんにたしなめられても、星真くんの機嫌は直らない。
「屋台もあるし、そんなむくれんなよ! な!」
「っていうか写真撮らずに帰るとかありえないでしょ」
波智と理音くんにも励まされ、星真くんは渋々といった顔で頷く。それにほっと安堵の息を吐き出して、私たちは人混みの中を歩き出した。
「さすが南の島だよねぇ~。まさか1月に桜が見られるなんてね」
「東京は、2月頃?」
私が尋ねると、理音くんは眉根を寄せて素っ頓狂な声を上げた。
「もっとあったかくなってからに決まってんじゃん! ん~……4月? とか、3月後半くらいじゃない」
問いかけるように答える理音くんに、かんちゃんが頷く。どうやら本当にそれくらいらしい。驚く私の前で、理音くんは話を続ける。
「しかも、こっちの桜ってちょっと違うんでしょ」
「え、そうなの?」
それも知らなかった。目を丸くしていると、私の隣にいた波智が顔をくしゃっと子どものように歪めて笑う。
「俺、テレビで見たぞ。向こうの桜はもっと薄いピンク色なんだってさ。ほら、こっちのは濃いピンクだろ」
頷いていると、星真くんを挟むようにして歩いていたかんちゃんが指を一本立てた。
「こっちの桜と向こうのは、品種が違うんだよ。こっちは、緋寒桜って言うんだ」
こんな漢字、と教えてくれたので、頭の中で書いてみる。

寒い時期に咲く緋色の桜。

なんて美しい漢字なんだろう、とうっとりしてしまう。
それがいけなかった。
自分では気付かなかったけど、どうやら私は足を止めてしまったみたい。我に返った時には、隣に波智がいなかった。すぐに追いかけようとしたけれど、向かいからくる人たちに揉まれてしまう。「あ」と声を上げた時には、もうみんなの姿が見えなくなっていた。
「どうしよう……」
とりあえず最初に歩いていた方向に歩を進めてみる。でも、かんちゃんが目指していた先がどこなのか知らないことに気付いて、すぐに足が止まってしまった。
こんな年になって迷子なんて、ちょっと恥ずかしい。きっと波智にからかわれちゃうな。理音くんにも文句を言われそう……。昴は怒るかな? 星真くんは呆れちゃうよね。かんちゃんは……どう思うんだろう? 昔なら心配してくれただろうけど、今はちょっとわからない。
「早く、みんなを見つけないと」
口にしたら余計ひとりだってことを自覚してしまって、息が止まりそうな心持ちになった。
こんなにたくさん人がいるのに、私は今、ひとりぼっち。
それは今だけじゃない。あと数ヶ月すれば本当に、私たちには『卒業』という別れが訪れて、離れ離れになってしまうのだ。
今と未来が交錯し、私の心を重くする。

少し前は、卒業してもみんな星波島にいるんだと思っていた。この日常は、続くんだと思っていた。
でも、当たり前なんてない。
ずっとそばにいてくれると思っていたかんちゃんは7年前、高校を卒業すると同時に東京へ行っちゃった。すぐ帰ってくるって言ったのに、なかなか帰ってきてくれなくて……あの時までの私の『日常』は、消えてしまったんだ。
今、それがまた訪れようとしている。
私たち3年生はもうすぐ高校を卒業し、それぞれの道へ進んでいく。そうしたら、今日みたいにみんなで桜を見に行ったり、部活に勤しんだり、遊んだり出来ない。
この『日常』が、『過去の思い出』になって、消えてしまうんだ。
私だけ置いて、みんな、いなくなってしまう。
「……っ」
指の間から幸せがすり抜けてしまうような感覚に、小さな声が漏れた。目頭がじんわりと熱くなって、鼻の奥がツンと痛む。
泣いちゃダメ……!
「見つけた!」

懐かしい声がしたと思ったら、手首をぎゅっと握られた。びっくりして声を上げそうになったけど、目の前にいたのは私の幼なじみ――かんちゃんだ。
「急に、いなくなったから……びっくり、しただろ……」
息を切らしてそう告げるかんちゃんは、どこか焦っているように見える。こんなかんちゃんを見るのは、あの頃以来だ。驚きと安堵で呆然としていると、かんちゃんの後ろから昴たちもやってきた。
最初に詰め寄ってきたのは、眉を吊り上げた波智。
「このバカ! 人が多いんだからぼんやりすんなよ! 変なヤツにさらわれたんじゃねえかって思っただろうが」
次に聞こえてきたのは、理音くんのため息。
「ホーント、あんたって間抜けだよねぇ~。おかげで探すのすっごい苦労したんだからね。聞いてる?」
何度も頷くと、またため息をつかれた。でもそれは理音くんじゃなくて、星真くんのもの。
「もう二度と、あなたのこと探すの嫌だから。人混みの中……すっごい息苦しかった」
「確かにもう二度と探し回るのはごめんだな。でもまあ、無事でよかったよ」
星真くんの言葉を引き継いだ昴が、私の頭に手を置いた。ポンポン、と二度撫でられる。その感触が優しすぎて今度こそ涙が溢れてしまう。それを見られたくなくて、慌てて頭を下げて隠した。
「本当にごめんなさい!」
ぐっと両手を握って、目も閉じる。そんな私の頭にどんどん重みが。何かと思ったら、みんなが私の頭を撫でていた。「重いよ」と文句が出てしまうけど、みんなお構いなし。髪をグシャグシャにされてしまった。
「う~みんなひどい」
唇を尖らせて手ぐしでセットし直していると、昴が私に向かって手を伸ばした。
「はぐれないように、俺と手、繋ごうか」
昔みたいに。
そんな言葉が聞こえた気がしながら、頷いてその手を掴む。すると、空いた方の手を星真くんに掴まれた。
「一応……俺も、掴んどく」
「ありがとう! 星真くんもいてくれたら、安心だね!」
笑みを向けると、星真くんは何も言わずに正面を向いてしまった。でも、繋いだ手を更に強くきゅっと握ってくれる。その「きゅっきゅっ」という感触がくすぐったくて、胸があったかくなった。
「じゃ、俺が前歩いて連れてってやる。ちゃんと俺を見てろよ」
「波智だけじゃ道に迷いそうだし、オレも歩いてあげるよ。感謝しなよね~」
波智と理音くんがそう言って、さっそく私の前に立ってくれる。するとかんちゃんが「僕は~」と考える仕草をしたあと、私の後ろに回った。そうして、そのほっそりした手を私の肩へ置いてきた。
「うん、こうして君の後ろにいれば、今度こそどこかへ置いていったりしないですみそうだね」
みんなの優しさに違う涙が溢れそうになるのを感じながら、私は笑顔で「ありがとう」と告げた。

こうしてみんなで過ごす時間は、確実に終わりへ向かって近付いている。時計の針は、絶対止めることは出来ない。私がみんなと過ごすこの幸せな時間は、あと少し。
だから『当たり前』が『当たり前』じゃなくなる前に、少しでも楽しい思い出を作ろう。このあったかい時間を、大切にしよう。
そっと胸の奥で誓った矢先、私の頬を優しい風と――濃いピンクの花びらが撫でていった。

テキスト:浅生柚子( @asaiyuz5