【BACKSTAGE Story】まどろみ

時計の針が天辺を回ったころ、新の携帯は着信を告げた。
「……?」
服と共にクローゼットの中にしまわれ、そのまま存在を忘れ去られる……なんてこともあるくらいだ。新が着信に気が付くことが出来たのは、偶然だった。
発信者の欄に表示されているのは「依空」の文字。
「……いそら?」
「おっ、新が出るなんて珍しいな! 明日は雪でも降るのか~? あ、そういや寒波が来てるんだっけ。どうりで最近寒い訳だ! ってことは、ほんとに雪が降るかもな~」
通話の文字をタップすれば、待ってましたとばかりに依空の声が流れ込んでくる。
常の依空もよく喋る、と思っていたが、今の依空はその比ではない。
「いそらうるさい」
「いや~今バンド仲間と飲んでるんだよ~。さっきギターの奴が電話したらそいつのバンドのヴォーカルも来るんだって!」
言葉通り、依空の電話の脇からは喧噪が聞こえてくる。
伝わらない会話を続けていても仕方がない。このまま通話を終了してしまおうかと迷っていたが、依空の言葉に「通話終了」を押す手が止まってしまった。
「そうそう、それで料理が結構美味くてさ。新好きなんじゃないかと思って、今から食べに来ないか?」
「……」
美味しい料理、という言葉に途端に主張する腹の虫。常なら面倒な気持ちが先立つが、今回は見過ごせないようだ。
「早く来ればまだ残ってると思うんだけど」
「……いく」
依空の告げた場所に向かうのにそう時間はかからなかった。

* * *

それから三十分程して、新は依空の告げた居酒屋にいた。
が、新を呼び出した張本人はと言えば。
「……くぅ」
大部屋の隅で腕組みをしながら、うつらうつらと船を漕いでいた。
「ねえ……」
知らない男ばかりの場に向かって声をかければ、人当りのよさそうな男性が顔を上げた。
「ん? ああ、君が依空が言っていた結生君?」
「ん」
「まあ適当に座ってよ」
男性は、依空の知り合いのギター弾き、と名乗った。
「急に依空が呼び出したみたいで悪かったね。あいつがうちのヴォーカルは凄いんだぞって言ってたから、みんな気になってさ」
「腹へってたし……」
「成程、だから来てくれたんだ。もっとも君を呼んだ依空はさっきまでちゃんぽんしてたからそこで潰れてるけど」
「勝手に起きると思う」
手慣れてるね、と男性は苦笑を浮かべる。新は手渡されたメニュー表を見ながら「リンゴのロック」と注文すると、驚いた表情をしていた。
「ビールじゃないんだ」
「駄目、って」
「駄目……? もしかして未成年?」
新はその言葉にこくりと頷く。
「前に凄いヴォーカルを拾った、って言ったきり詳しいことは教えてくれなかったんだけど。そうか……まだ未成年なのか……」
男性は、何かに納得したようにははあ、と息を吐く。
そのタイミングで他のメンバーも新の存在に気付いたようで、各々手にグラスを携えて近くに寄ってくる。
「いつもどんな音楽聴いてんの?」
「次いつ曲出す?」
「今度ライブするから、何曲か歌ってみない?」
「なんか楽器触ってたりする?」
酔っ払い相手に、新はしばし質問攻めされることになったのだった。

* * *

質問攻めが始まってから小一時間もたてば、ようやく落ち着く。
テーブルの上に乗った料理にも手を付け、満腹になったのも少し前だ。落ち着いてオレンジのロックを飲み始めた新にギター弾きの男性が柔和な笑みを浮かべながら寄ってくる。
「最近バンドはどう?」
どう、とはこれまたざっくりとした問いかけに首を傾げると、「バンドっていうよりは依空のこと」と付け足した。
「うっとおしい」
新の脳裏には、バンドに入らないかと依空に誘われたときの出来事が浮かぶ。
「あー、それは何か分かるかも。あいつ、気の回し方が上手いようでいて詰めが甘いって言うか。まあいい奴なんだろうけど」
今もそこで寝てるし、と男性は笑った。
「適当。けど音楽は一生懸命」
「やっぱりそっちでも眞世はそんな感じなんだ」
男性の言葉から、新の知らない依空が見えてくる。
「でも」
新は言うべきかどうか少し戸惑いながらも、続けた。
「ちょっと危ない」
「危ない?」
「ん。おごってもくれる便利な人」
「依空のことそんな風にいう奴、初めて見た」
「ほんとのこと」
「違いない」
新の言葉に男性は苦笑を浮かべながらも同意した。

しばらく男性と普段聴いている音楽について話をしていると、店員がタイムアップを告げに来た。
「そろそろ依空起こすか」
男性の言葉に、新は隅で眠っている依空を起こしにいく。
「いそら。起きて」
声をかけながら肩をポンポンと叩き、眠りの世界から呼び覚ます。その様子を見ていた男性は思わず、と言った様子で声を上げた。
「なんか手慣れてるんだな」
「よくこう起こす」
「結生君が?」
「一応」
身体を少し揺さぶると、ようやく依空は目を覚ました。
「もう時間。ずっと寝てた。おはよ」
「……んん? 時間……って! 俺、全然飲んでない! うわ~勿体ないことした~。……てか、なんで新がここにいるんだ?」
「美味い飯あるって言うから。それにいそら来てほしそうだったから」
「俺が新に電話かけたのか?」
「そう。いそらが」
新の言葉に依空は眉を寄せた。記憶にないらしい。
「で、どうする? 依空が良いなら二軒目でもいいけど」
男性はお猪口を傾ける仕草をしながら問いかける。
「あー……今日は新もいるしいいや」
「じゃ、次の機会にな」
「今度は俺が飲み会企画するな」
「頼む。その時はヴォーカルだけじゃなくて他のメンバーも呼んでくれよ」
「了解」
その後もとりとめのない話をして、その場は解散となった。新と依空も三々五々散っていく者たちを見ながら居酒屋を後にする。
「じゃ。帰る」
「んー。次のスタ練、決まったら連絡するからちゃんと来いよ」
曖昧な返事をしながら遠ざかっていく新は、数メートル進んだところで回れ右して、おもむろに戻ってくる。
「どうした?」
「あといそら」
「ん?」
「ごちそうさま」
「……おう」
じゃあと軽く手を上げて、今度こそ用はないと新は来た道を戻っていった。新はマイペースで相変わらずだ。
みんなで楽しく飲んでいて、気が付いたら眠っていたらしい。それでも幾らか眠ったからか、アルコールが抜け始めたのが分かる。
かじかんだ指先に息を吐きかける。
「……意外と寒いな」
依空はポケットに入れていた携帯を取り出し、メンバーに予定を聞くことにした。合同の飲み会を企画するために。