【BACKSTAGE Story】A reliable friend

今までに何度か来たことのある居酒屋のドアを開けると、控えめながらも活気のある話し声が聞こえてくる。騒がしいというよりは、どこかこの喧騒に落ち着く気がするのは不思議だった。
「連れが先に来ていると思うんですが……」
そんな言葉とともに俺が足を運んだのは依空の馴染みの居酒屋で、いかにも依空が好きそうな雰囲気の店だ。
店の奥を覗き込んでいると、『連れ』と目が合う。彼は俺の姿を見つけると、ひらひらと手招きした。
「お連れさまですね? ええと……」
「ああ、大丈夫です」
最初の一杯を大事にする彼には珍しく、ひとりなのにもう始めていたらしい。テーブルの上には、注文したのにほとんど中身が減っていないビールと、それからいくつかのつまみが載っている皿があった。
「お待たせ」
「お、悪いな〜。待ちきれなくて先始めてた。どうしても我慢できなくてな」
「構わないよ。叶亜は少し遅れるから、先に飲んでていいよって」
「まあ言われる前にやってたけどな〜」
「そうみたいだね」
依空から受け取ったメニューを見て、俺は酒を注文した。ほどなくして、注文した酒がテーブルの上に置かれる。
「かんぱ〜い?」
「乾杯」
店内の客の話し声に、グラスとジョッキの触れる音が混じって溶けた。
(……何かあるんだろうね)
初めはちょっとした違和感だったけれど、こうして依空と顔を合わせるとそれは確信へと変化した。いつもと少し様子が違う依空に、不自然だった叶亜の誘い。
「依空」
「んー?」
「今日の依空、ずいぶんペースがゆっくりなんだね」
「あー、一応叶亜もまだ来てないしな」
「そうだね」
何かがあることは分かっているけれど、俺は気づかないふりをしてメニューに視線を投げた。
「すみません、注文お願いします。この焼き鳥の盛り合わせとポテトフライ、それから……」
依空が好きなものと叶亜が好きなもの、それに俺が食べたいものを頼むと、話は他愛のない近況報告になっていった。

* * *

「んで、有貴はどんな感じなんだ?」
「俺はあまり変わらないよ。強いて言うなら……しばらくうちにいた猫が自分の寝床に戻ったくらいかな」
「なんだかんだ寂しいんじゃないのか?」
にやにやと笑っているところを見ると、これは茶化しているのだろう。こう言うのは流してしまうに限る。
「で、依空はどうなの? 前ほど頻繁に集まることは減ったけれど」
「ん? 俺の方はぼちぼち……って言いたいけどちょっとしんどい……感じだ。ここ最近は、切羽詰ってるって方が正しいのかもな。今やってるのもこれでいいのかって思う部分もあるし、でもまずある程度形にしないと話にもならないしで……」
口調は軽かったけれど、会話の端々にいつもは見せないであろう依空の焦りや不安、苦悩が混じっていることに気づく。
「向こうにイメージしてるものがあって、それに沿うように形にしていくのがなあ」
依空はそう言うと、ぐっとビールを煽った。相変わらずビールの減りは緩やかだった。
こんなふうに心情をこぼすなんて、前より少しは信頼されたのか依空の心のガードが緩くなっていることを感じる。嬉しくないわけではないけれど、俺はそれ以上に心配になった。
以前、依空から聞いた話を思い出す。
今は知人に頼まれて曲を作っているのだという。なんでもそれは、今までのスタブルとは違
うけれど、ちゃんとスタブルらしさもあるような……そんな曲を求められているらしい。
「期待には応えたいけど、どうしたもんかな……俺らっぽくないけど、でもちゃんと聞いたら俺らだってことがわかる曲ってなんなんだろうな」
曲の元になるイメージやテーマが既に存在しているから、自由に作るというよりは相手の意向に合わせた曲作りが必要になるらしい。
「初めてだけどチャレンジしてみたいって言ったのは俺なのにな。やってみたい気持ちは確かに本物で、今だって本心なのに……」
依空からこぼれ落ちる本音をひとつひとつ丁寧に拾い上げて、そして繋いでいく。カケラはあっというまにひとつの形になった。
(曲作りがうまくいっていないんだね)
依空はどこか寂しげに笑いながら、ジョッキに口をつけた。
彼はもともと自分の中にあるものを削り取って曲を作っていくタイプだ。だから、誰かの意向に沿って自分の中にないものを作り上げていくのには向いていない。
依空自身もそれを自覚していてーーだからこそ今回チャレンジしてみたいと笑っていたのだ。
だけど、そのチャレンジの結果は今の彼の様子を見れば明らかで。
不自然だった叶亜の誘いも、こうなってみれば簡単なことだった。
(俺がここに呼ばれたのは……そういうことなんだよね)
きっと依空の苦悩に最初に気づいたのは叶亜だったのだ。
「依空」
ジョッキを見つめてぼんやりと考え事をしていたらしい依空は、いつもと変わらないような笑みを浮かべようとしていた。
「どうした? あ、次頼むか?」
「その曲、俺にやらせてくれないかな」
そう口にした途端、依空は目を丸くしていた。依空の瞳の中に見えたのは、驚きだった。
「依空に出来ないとは思ってないよ。時間をかければ必ず納得するものを作り上げることが出来るとも思っている。だけど……」
それは紛れもない俺の本心だった。
「時間は待ってはくれないし、締め切りがあるもんな」
「そうだね。それは依空自身が一番知っているよね。焦って間に合わせのものを出したところで決していい結果は出ない」
俺は言葉を途中で切って、酒を一口飲む。俯いてしまった依空からは、表情が読めなかった。
「それに、多分俺の方が向いている気がするんだ。ねえ、依空。たまには俺の力も頼ってみない」
ゆるく首を傾げながら正面から依空を見やる。顔を上げた依空は、困ったような泣き出しそうな表情をしていて。不思議とその表情に、俺は目が逸らせなくなってしまった。
「俺、チャレンジしたいって思ってたんだ。今だってその気持ちは変わってない」
依空はぽつぽつと言葉を吐き出していった。
「これをきっかけに新しい俺の一面とか、そういうのが出せたらなーとか。スタブルの楽曲に新しい風吹かせられたら……って思ってる」
「……うん」
「頼まれた曲ってこともあるし、頼んでくれた気持ちにも応えたかったんだ」
「そうだね」
ぽつりぽつりとこぼれてくる本音に相槌を打っていく。
依空の音楽に対する執着じみた強い想いをメンバーの誰もが知っていて、理解していた。そして理解しているからこそ見守り、曲が出来るのを待っていたのだ。
(無茶をしていることも、無理をしていることだってみんな知ってたよ)
世の中には、誰かが出来ることでも誰かは出来ないこともある。依空もそうだ。それを克服するには時間が足りなかった。ただ、それだけ。
「このままじゃ中途半端になっちまう。頼んでくれたヤツも、スタブルのみんなも、俺自身も裏切ることになる。……どうにかしようと思ったんだけどなー……」
そう言うと、依空は今までちびちびと呑んでいたのが嘘のようにビールを一気に流し込んだ。
「全部知っているよ」
依空が音楽に関わることでは誰も裏切りたくないことも、本気で向き合っていたことも。
「だから、俺がやりたいんだ」
俺も依空に触発されたのか、グラスに残っていた酒を流し込んだ。
「……ありがとな。有貴、お前に託すから……最高の1曲を頼んだぞ」
「うん」
依空のやりたいこと、求められていること、それから俺がやりたいこと。託されたからには全部を詰め込んだものを作ってみたい。
どこか潤んだ瞳で俺を見ている依空を見てくすりと笑っていると、突然喧騒が割り込んでくる。
「ごめ〜ん! 遅くなっちゃった!」
「……」
「はぁ〜疲れた。早くお酒飲んでぷは〜ってしたいよ。メニュー! メニューはどこ?」
やってきた叶亜は俺の隣に座ると、手をぱたぱたさせながらメニューを探す。
「ぷっ……」
「ふふ、叶亜らしいね」
さっきまではいわゆる『イイ話』になっていたのに、今その空気はすっかりなくなってしまった。俺と依空は顔を見合わせて笑うしかなった。
「えっ? 僕? 僕が何かした?」
きょとんとした表情をしている叶亜を見て、俺たちはまた笑った。

一年前を思い出す。
それは俺がバンドを辞めるか続けるかの選択を迫られていたあの時のこと。
依空にもらった言葉は、今も俺の中にあった。
自分に出来るか出来ないかは関係ない。彼が思いを込めた曲だからこそ、俺がやりたいと思った。
(……今の俺になら、きっと出来るかな)
目の前では、依空と叶亜がいつも通りの気の抜けた会話を交わしている。
ふたりの会話に耳をすませながら、新しく注文した酒を一口飲む。ふと目を閉じれば、まだ生まれてもいないはずのメロディがどこかからか聞こえるような気がした。